【原文】
乙を甲に執り、甲を乙に蔵(かく)す。之を護身の堅城と謂う。


【訳文】
柔を剛に執り、剛を柔に蔵す。このように柔と剛を互いに兼ねるようにすることが、身を護る堅固な城といえる。


【所感】
柔は剛に執り、剛を柔に隠す。何事も一方に偏らないようにすることが我が身を守る堅い城となる、と一斎先生は言います。


かつて、十干のうち、乙(きのと)、丁(ひとの)、己(つちのと)、辛(かのと)、癸(みずのと)にあたる日を柔日といい、甲(きのえ)、丙(ひのえ)、戊(つちのえ)、庚(かのえ)、壬(みずのえ)にあたる日を剛日といったのだそうです。


また『礼記』曲礼篇には、


外事は剛日をもってし、内事は柔日を以ってす。


とあります。


外事とは出征狩猟を、内事は冠婚葬祭などをいうそうです。(『言志四録(三) 言志晩録』(川上正光訳、講談社学術文庫より)


以上のようなことから、一斎先生は甲乙を柔剛の意味で使っているようです。


本章において、一斎先生は一方に偏することの非を説いています。


『三略』という兵法書には有名な、


柔能く剛を制し、弱能く強を制す。 


という言葉もあります。


しかし、柔ばかり、弱ばかりでは戦いには勝てません。


時には剛、時には柔を臨機応変に使い分けてこそ、戦いに勝利することができるはずです。


仕事においても同様です。


強者は強者の戦略を、弱者は弱者の戦略を講じてこそ、厳しい企業間競争を勝ち抜くことができます。


この場合、例えば弱者の戦略とは、弱一本槍ではなく、弱のなかに強を秘めたしたたかな戦略でなければなりません。


強者の戦略の場合も、その行動は剛であっても、リーダーの頭は柔である必要があるでしょう。


もっとシンプルにいえば、


押してもダメなら引いてみな、引いてもダメなら押してみな 


ということです。


そんな柔軟な着想がわが身を助けるということかも知れませんね。