【原文】
三軍不和なれば、以て戦を言い難し。百官不和なれば、以て治を言い難し。書に云う、「寅(つつしみ)を同じくし、恭しきを協えて、和衷せん哉」と。唯だ和の一字、治乱を一串す。


【訳文】
全軍が一致和合しなければ、戦争のことを口にすることはむつかしい(戦争はとてもできない)。役人がことごとく一致和合しなければ、政事を口にすることはでき難い(善政はむつかしい)。『書経』にも「同僚が互いに敬を重んじ誠を尽くして和合せねばならない」とある。ただ、和の一字は、国の治まっている時でも乱れている時でも、一貫して肝要である。


【所感】
全軍がひとつにまとまっていなければ、戦争などできるはずもない。官僚がひとつにまとまっていなければ、政治などできるはずがない。『書経』皐陶謨(こうようぼ)にも「寅を同じくし、恭しきを協えて、和衷せん哉」とある。ただただ「和」の一字こそが治乱を決定するのだ、と一斎先生は言います。


まずここに引用された書経の言葉からみておきます。


【原文】
天、有礼を秩す。我が五礼を自(もち)いて、五庸ならん哉。寅を同じうし、恭を協(かな)えて、和衷ならん哉。


【訳文】
天は人々の間に尊卑の差を置き、礼を定めてその間を調えておられます。君主は、これに則り、我が公侯伯子男の五段階の礼を用いて、貴賤の関係が乱れぬようにされねばなりません。諸侯たちが、敬しあいうやまいあって、互いに仲良くするように導かれねばなりません。(『世界古典文学全集』より)


これは、帝舜に仕えた皐陶という司法長官と舜から皇位を継承した禹との会話の一部で、皐陶が禹に言った言葉です。


礼の制度を整えて諸侯が反目しあうことのない様にすべきだとの忠告ですね。


和を以て尊しと為す


とは聖徳太子が制定した十七条の憲法の最初の言葉です。


この言葉の出典は『論語』にあります。


【原文】
有子曰わく、禮の和を用て貴しと為すは、先王の道も斯を美と為す。(為政第二)


【訳文】
有先生が言われた。
「礼に於いて和を貴いとするのは、単に私の独断ではない。昔の聖王の道も美しいことだとした」(伊與田覺先生訳)


戦争で勝利を収めることができるか否か、あるいは政治で民を治めることができるか否かは、「和」の一点にかかっていると一斎先生は断じています。


一方でここで取り上げた『書経』の言葉も『論語』の言葉も、和を保つためには「礼」が不可欠であることを述べています。


我々が組織に置いてマネジメントを行う際にも、メンバーが互いに親しみ合うことは重要ですが、それが馴れ合いになってしまっては、大事なときに力を発揮できないでしょう。


上司と部下、先輩と後輩、あるいは目上の人に対する丁重な起居動作といった「礼」をしっかりと整えることが何より重要なのです。


そう考えてくると森信三先生が仰っているとおり、椅子をしまい、靴のかかとを揃え、挨拶をする、という基本をまずはきっちりと社員さんに浸透させることから始めなければなりません。


そして、そのためにはまずリーダー自らが正しい礼を身につけていることが前提となります。


リーダーの皆さん、


正しい挨拶ができていますか? 


社内および客先で靴のかかとを揃えていますか?


立ち上がる際に、椅子はしっかりと机の中のしまっていますか?