【原文】
才有りて量無ければ、物を容るる能わず。量有りて才無ければ、また事を済(な)さず。両者兼ぬることを得可からずんば、寧ろ才を舎(す)てて量を取らん。


【訳文】
人は才能があっても度量が無ければ、人を寛大に受け入れることはできない。これとは反対に、度量があっても才能が無ければ、物事を成就することはできない。才能と度量の両者を兼ね備えることができなければ、いっそのこと、才能の方をすてて度量のある人物になりたい。


【所感】
人は、才能があっても度量が無ければ、人を受け容れることはできない。逆に、度量があっても才能が無ければ、事を成就することはできない。仮に才能と度量の両者を兼ね備えることができないのであれば、才能の方を捨てて度量のある人物になろうではないか、と一斎先生は言います。


これまでに何度も紹介していますが、私が私淑する伝説の営業人・中村信仁さんの名言に、


心が技術を超えない限り、技術は生かされない。


とあります。


本章で言えば、


才 = 技術 
量 = 心


と捉えて良いのではないでしょうか。


安岡正篤先生の高弟・伊與田覺先生はこう仰っています。


人間には「徳」と「才」の両方が大切でありますが、才よりも徳の優れた人を君子といい 徳よりも才のほうが優れている人を小人というのです。また、自分よりも他人を大切にす る人を君子といい、自分を中心に動く人を小人といいます。さらに、徳も才も両方ともに 優れておりながら、なお徳のほうが才よりも優れている人は「大人」「人物」という。「賢」 というのもこれにあたります。同じく徳も才も優れているけれど、才のほうが徳よりもな お優れている人を「人才(人材)」というのです。逆に才も徳も少ないけれども、徳のほうがちょっと優れている人を「賢」に対して「愚」というんです。(『己を修め人を治める道』伊與田覺著、致知出版社)


一斎先生も、「徳」が「才」に勝った人間でありたい、つまり君子たらんと努めたということでしょう。


小生もせめて、「賢」となることを志して、日々精進していきます。