【原文】
人の一生には、順境有り逆境有り。消長の数、怪しむ可き者無し。余又自ら検するに、順中の逆有り、逆中の順あり。宜しく其の逆に処して敢て易心(いしん)を生ぜず、其の順に居して敢て惰心(だしん)を作(おこ)さざるべし。惟だ一の敬の字、以て逆順を貫けば可なり。


【訳文】
人の一生には、得意(万事都合のよい幸運)の境遇もあれば失意(思うままにならず苦労多い不運)の境遇もある。これは栄枯盛衰の自然の理法であって、少しも怪しむべきことではない。自分が調べて見るに、ただ順境・逆境と一律にいっても、順境の中でも逆境があり、また逆境の中でも順境がある。それで、逆境にあっても決して不平不満な心や自暴自棄な気持を起さず、順境にあっても怠りなまける心や満足な気持を起さぬようにするがよい。ただ、敬の一字をもって順境・逆境を終始一貫すればそれでよいのである。


【所感】
人の一生には順境(良いとき)もあれば逆境(悪いとき)もある。この消長の理法は宇宙の摂理に則っているので疑うべきものではない。私が自分で検証したところでは、実は順境の中に逆境があり、逆境の中に順境があるものである。それゆえ、逆境だからといって自分の想いを簡単に変えたりせず、また順境のときには怠け心を起こさないことが大切である。ただ敬の一字をもって順逆に対処すれば良いのだ、と一斎先生は言います。


以前(第220日) にも紹介しました坂村真民さんの詩、幸せの帽子を再掲します。


幸せの帽子

すべての人が幸せを求めている
しかし幸せというものは
そうやすやすとやってくるものではない
時には不幸という帽子をかぶって
やってくる
だからみんな逃げてしまうが
実はそれが幸せの
正体だったりするのだ
わたしも小さい時から
不幸の帽子を
いくつもかぶせられたが
今から思えばそれがみんな
ありがたい幸せの帽子であった
それゆえ神仏のなさることを
決して怨んだりしてはならぬ


不幸の帽子をかぶった幸せとは、ここでいう逆境の中の順境と重なります。


小人と君子の違いは、目の前の出来事に対する対応でわかると言われます。


つまり、小人は一喜一憂するが、君子は禍福始終を知って惑わないのです。


では、具体的にはどうしたら小人は君子に近づけるのでしょうか?


小生が日頃から意識していることは、常に逆境の人を思いやる気持ちをもつことです。


たとえば、競争で勝利した場合は、その陰で泣いている敗者の気持ちやその家族の気持ちを思いやる。


逆に、競争で敗北した時は、同じように敗北に嘆き悲しんでいる人たちの希望となるためにも再び立ち上がってチャレンジする。


小生はパワハラで訴えられた駄目上司でした。


しかし、そこから学んだことを活かしてすばらしい人生を手に入れようと精進しています。


それが同じパワハラで不遇の環境にある人の希望となれば幸いです。


逆境の後にしか幸せの花は咲きません。


一斎先生の言うように、常に人を敬い慎む心をもち続けていけば、幸せの方から近づいてきてくれるかも知れません。