【原文】
太寵(たいちょう)は是れ太辱(たいじょく)の霰(さん)にして、奇福は是れ奇禍の餌(じ)なり。事物は大抵七八分を以て極処と為す。
【訳文】
特別な寵愛を受けるということは、大きな恥辱を受ける前兆であるといえる。予期しない幸福を受けるということは、予期しない禍(災難)を引きおこす餌であるといえる。物事はおおよそ七、八分くらいの所が一番よい。
【所感】
身に過ぎた寵愛を受けることは、大いなる恥辱を受ける前兆であり、思いがけない幸福は、予期しない禍の要素となる。物事はなんでも七~八分目くらいがちょうど良いのだ、と一斎先生は言います。
陰陽二元論の考え方によれば、陽が極まれば陰となり、陰が極まれば陽となるとされます。
よって自分の身分には不相応な評価を得たようなときは、かえってその後の転落に気をつけなければいけない、ということになるわけです。
気をつけるとはもっと具体的に言えば、調子に乗らない、喜びすぎないということです。
孔子は、
不義にして富み且つ貴きは浮雲の如し
つまり、正しくない手段で富や地位を得たとしても、それは浮雲のようなもので、そこに固執するものではない
と言っています。
不義ではないにしても、分を超えた富や名誉も同じことではないでしょうか。
なにごとも八分目くらいがちょうど良いのです。
人生も幸せを極めるのではなく、ちょっと足りない、もう少しあれが欲しい、あんな人になりたいと思っている程度がむしろ理想の状態なのです。
そう思っていれば、順境に際して調子に乗るようなこともなくなりますよね。
人生を賢く生きる智慧だといえる章句です。