【原文】
人各々分有り、当に足るを知るべし。但だ講学は則ち当に足らざるを知るべし。
【訳文】
人にはそれぞれ本分というものがあるから、その自分の本分に満足して貪らずに生活すべきである。ただ学問をする場合だけは、前進の一路を辿って満足しないことを知っておくべきである。
【所感】
人には各自、持って生れた分際があるので、常に現状を不足に思わないようにすべきである。ただし、学問においては常に不足を思い、向学の志を失ってはならない、と一斎先生は言います。
この章句は、小生が愛唱する章句ベスト5のひとつです。
人はある程度の年数を生き抜いてくると、自分の分際に限界があることに気づかされます。
たとえば50歳を迎えた小生が、これから残りの人生で孔子や佐藤一斎先生のレベルの教育者になることは不可能です。
人は皆、天からの封書をもって生れてくる、と森信三先生は言います。
その封書にはその人だけの唯一無二の使命が書かれているそうです。
他人と比較して自分の境遇を嘆いたところで何も変わりません。
それよりも今の自分が影響を及ぼせる範囲の中で、自分の精一杯を尽くすことです。
そうすれば、いつしか自然に、自分独自の封書を開封することができるはずです。
これは諦めではなく、真の使命に気づくということです。
ただし、若い人にはなかなか受け容れられないことかも知れません。
ところで、一斎先生は人生においては、自分の分際を知り、現状に不満を持つべきではないとしながら、学問においては決して満足してはいけないと指摘しています。
ここでいう学問とは、いわゆる時務学ではなく、人間学を指していると理解して良いでしょう。
自己を修養し、自分の中にある徳を掘り起こして磨き上げるためにも、人間学を学び続けなければいけません。
そして小生にとっての不朽のテキストこそ、この『言志四録』と『論語』なのです。