【原文】
人、得意の時は輒(すなわ)ち言語饒(おお)く、逆意の時は即ち声色を動かす。皆養の足らざるを見る。


【訳文】
一般に人というものは、得意(順境)の時には、いつも言葉数が多い。失意(逆境)の時には、すぐに音声や顔色をかえて動揺する。これはみな修養の足らないことを表わすものといえる。


【所感】
普通の人間は、順境にあっては自然と口数も多くなるが、逆境となると、途端に顔色がくもり、声も小さくなる。これらは皆、修養が足りないのだ、と一斎先生は言います。


この言葉はなかなか痛烈です。


小生は毎月、売上進捗確認の面談を行っているのですが、情熱をもって仕事をしていない人や同じミスを繰り返すようなメンバーには、厳しい言葉で指導をしてしまいます。


こうなると途端に蚊の泣くような声を出す人がいます。


問題なのはこのように落ちこんだ表情や声が小さくなる人に限って、同じミスを繰り返したり、成績が伸び悩んだりするのです。


要するに心から反省しているわけではなく、嵐の過ぎ去るのをじっと待とうと思っているだけなのでしょう。


そんなメンバーの中には、あれだけ落ちこんだ表情だったはずなのに、翌日にはケロッとして元気に出社してくる人がいるのです。


リーダーという立場の人は、そういうメンバーの声色に惑わされることなく、彼らを導いてあげなければいけません。


とはいえ、小生も凡人ですので、想定外のことが起きた場合など同じような状況になってしまうのが現実です。


これに関して興味深い『論語』のエピソードをご紹介します。


祖国を捨てて流浪の旅に出た孔子一行は、あるとき陳という国と蔡という国との国境付近で足止めを喰らい、ほぼ一週間飲まず食わずの状況に陥りました。


お弟子さんの中には自力で立ち上がることができない人もいて、餓死寸前といった状況でした。


そんな状況に怒りを抑えきれなくなった一番弟子の子路が孔子に食って掛かります。


「先生は日頃から君子だとおっしゃっていますが、君子でも困難な状況に陥ることがあるのですか? (要するに、先生は本当に君子なのか、という痛烈な問いです)」


そのとき、孔子は子路にこう言います。


君子固より窮す。小人窮すれば斯(ここ)に濫(みだ)る。


訳せば、「もちろん君子だって窮地に立つことはあるさ。そんなとき凡人は大いに慌てふためくものだ。しかし、君子は窮地に立っても決して乱れることはないのだよ」


修養とは、このように乱れない心をつくることを言います。


最後に、これまでにも何度なくご紹介している荀子の言葉を掲載しておきます。


【原文】
君子の学は通ずるが為めに非ず。窮するとも困まず憂うるとも意の衰えず、禍福終始を知りて心の惑わざるが為めなり。


【訳文】
君子の学問とは、立身出世のためにするのではない。窮するときも苦しまず、幸福なときも驕らず、物事には始めがあれば終わりがあることを知って、どんなときも平静な心で対処できる人間となるために学ぶのだ。