【原文】
学は須らく心事の合一するを要すべし。吾れ一好事を做(な)し、自ら以て好しと為し、因(よっ)て人の其の好きを知るを要するは、是れ即ち矜心(きょうしん)除かざるなり。便(すなわ)ち是れ心事の合一せざるなり。


【訳文】
学問をするには、自分の心とその行ないとが合致して一つとならなければならない。自分が一つの好い事をして、自分でも好いと認め、それによって、人にそのよさを認識してもらうように要求することは、すなわち、人に誇る心がまだ取り除かれていないからである。これは心と行ないが一致していないというものである。


【所感】
学問というものは人の心と行為とが一致していなくてはならない。自分が一つ良い事をして、それを是認し、他人に良いことをしたことを知ってもらおうという気持ちがあるならば、それは虚栄心が取り除かれていないということであり、心と行いの不一致であるといわざるを得ない、と一斎先生は言います。


荀子は、学問というものは立身出世のためにするものではないと断じています。


立身出世のために学問をすると、周囲の人との差別化を図るためにも、人に誇ることが必要になります。

そんなものは本当の学問ではないと一斎先生は言います。


『礼記』という古典に以下のような言葉があります。


【原文】
学びて然る後に足らざるを知り、教えて然る後に困しむを知る。(学記篇)


【訳文】
学んでみて初めて自分の知識も人格もいかに不十分なものであったかが自覚できる。教えてみて初めて、教えることのむずかしさがわかる。(守屋洋先生訳)


学べば学ぶほど自分の至らなさに気づき、一段と修養を積まなければならないことを自覚するはずだ、ということでしょう。


したがって、人に誇る暇などあろうはずがないのです。


自分の心と行ないが一致するというのも、自分が描いている理想を行動に移すことだと言えるのではないでしょうか? 


そうだとすれば、そうそう言行が一致するわけではなく、常に行動が不足するはずです。


仮に言行が一致するようになったと感じたなら、より高いレベルで言行一致を図るべきです。


満足すれば成長は止まります。


常に不足を思って、学び続けましょう。