【原文】
人は厚重を貴びて、遅重(ちじゅう)を貴ばず。真率を尚(たっと)びて、軽率を尚ばず。


【訳文】
人は重々しく落ちついていることを貴ぶが、動作が遅鈍であることは貴ばない。また、性質が純真で飾りけのないことを貴ぶが、軽々しいことは貴ばない。


【所感】
人はゆったりと重々しいことを尊ぶが、ゆっくりで鈍いことは尊ばない。また、正直で飾り気がないことは尊ぶが、軽率であることは尊ばない、と一斎先生は言います。


厚重という言葉を聞いて思い出すのは、中国明代の人・呂新吾の著『呻吟語』の名言です。


【原文】
深沈重厚なるは、これ第一等の資質。磊落剛勇なるは、これ第二等の資質。聡明才弁なるは、これ第三等の資質。


【訳文】
どっしりと落ち着いて深みのある人物、これが第一等の資質である。積極的で細事にこだわらない人物、これは第二等の資質である。頭が切れて弁の立つ人物、これは第三等の資質にすぎない。(守屋洋先生訳)


一斎先生は、同じ「重」でもゆったりとしているのはよいが、のろまはダメであり、同じ「率」でもまじめなのはよいが、軽いのはダメだとしています。


小生自身、あまり真率という言葉を聞いたことがありませんが、福沢諭吉先生は『学問のすすめ』の中で、


人間交際の要も、和して真率なるに在るのみ


と言っています。


この一斎先生の言葉は、人の性質を分けるものはちょっとした意識の持ち様である、と読むこともできそうです。


厚重さは少し油断すれば遅重となり、真率さも少し気を緩めれば軽率さとなって、相手に伝わるのではないでしょうか?


他人の評価というのは、あくまでもその人の主観です。


だからこそ、相手から厚重、真率な人と見られるように、自分自身をセルフマネジメントしていかなければなりません。