【原文】
「人にして恒無きは、以て巫医(ふい)と為る可からず」と。余嘗て疑う、「医にして恒有って術無くば、何ぞ医に取らん」と。既にして又意(おも)う、「恒有る者にして、而る後に業必ず勤め、術必ず精し。医人は恒無かる可からず」と。


【訳文】
『論語』に「人にして常に変らない善(誠)心のない人は、神意を伝える巫(みこ)でも病を治す名医でも手の施しようがない」とある。自分は昔これを疑って「医者で恒心があっても(医)術が無ければ、どうして医者といえようか」と思った。それから、また「恒心のある人であってこそ、その本業に必ず精を出し、術も必ず精しくて熟達するものである。それで、医者には恒心がなくてはならない」と思うようになった。


【所感】
『論語』に「人にして恒(つね)なくんば、以て巫医(ふい)を作(な)すべからず」とある。かつての私はこれを疑問に思った。「医者として定まった心があっても、技術を磨かなければ、どうして医者になれようか」と。今になってみるとこう思う。「定まった心があれば、必ず仕事に精を出すので、技術は熟達するものである。医者には定まった心がなければならない」と。このように一斎先生は言います。


まず『論語』子路篇にある上記の言葉をみてみましょう。


【原文】
人にして恒(つね)なくんば、以て巫医(ふい)を作(な)すべからず。


【訳文】
人として変わらない心がなければ祈祷師の占いや医者の治療もすることができない。(伊與田覺先生訳)


自分の中にしっかりと定まった心がなければ何事も上達しない、という教えでしょう。


定まった心とは、志と言い換えても良いかも知れません。


小生が『論語』の読書会である潤身読書会を始めた頃、ある人から「君のような素人が人に『論語』を語る資格はない」といった趣旨のことを言われました。


一時は心が折れかけて、開催を中止しようかと思ったこともありました。


しかし、そもそも読書会と銘打っているように、私が講師となって『論語』を語ることが本会の目的ではなく、あくまでも小生が先行して勉強したことを参加者の皆さんに開示して、皆さんの境遇と照らし合わせた解釈をしてもらうことで、『論語』の理解を深めていくことが会の趣旨であることを確認し、会を継続させてきました。


今では、誰よりも小生が『論語』について勉強をさせてもらい、以前に比べれば深く読むことができるようになってきました。


すでに何度も取り上げてきましたが、小生が師事している永業塾塾長・中村信仁さんの、


心が技術を超えない限り、けっして技術は生かされない


という言葉は、ここで取り上げられた『論語』および『言四志録』の言葉の現代語訳であり、最良の解釈であると思います。


技術を磨くことはもちろん重要です。


しかし、なんのためにその技術を磨くのかという志が定まっていなければ、決して世の中の役に立つような技術は身につかないのだということです。


覚悟と志をもって、自分の仕事に力を尽くしましょう。