【原文】
学に志すの士は、当に自ら己を頼むべし。人の熱に因ること勿れ。『淮南子』に曰く、「火を乞うは燧(すい)を取るに若かず。汲(きゅう)を寄するは井(せい)を鑿(うが)つに若かず」と。己を頼むを謂うなり。


【訳文】
学問に志す者は、自分の力に頼るべきであって、他人の助けをかり、他人の力によって物事をなそうとしてはいけない。『淮南子』に「火を他人に乞い求めるよりは、自分で火打ち石によって火をおこした方がよい。また、人に水を汲んでもらうよりは、自分で井戸を掘って水を汲む方がましである」と言っているが、これは他人に頼ることなく自己に頼れといったものである。


【所感】
学問に志す者は、なにより自分自身を頼むべきである。人の恩恵に頼るようではいけない。『淮南子』という古典に、「火を貰うよりは火打石で火を起すべきである。人の汲んだ水を当てにするよりは井戸を掘るべきだ」とある。これは自分自身を頼めという教えである、と一斎先生は言います。


儒者である佐藤一斎先生が、道家の思想に連なる『淮南子』を引用している点は興味深いところです。


学派などに拘らずに、自由に幅広く学ぶことを実践していた一斎先生の凄さを感じざるを得ません。


さて、ここでは学問をする際には、人に頼らず、自らの力で道を切り開けというメッセージを送られています。


安易に人の助けを借りるのではなく、一見遠回りに思えるようなことでも、まず自分自身で考え、悩み、自ら解決策を見つけ出すことが学問の要諦だということでしょう。


国民教育者の森信三先生も、『修身教授録』の中でこう言っています。


人間の知恵というものは、自分で自分の問題に気付いて、自らこれを解決するところにあるのです。教育とは、そういう知恵を身に付けた人間をつくることです。

人間は自ら気付き、自ら克服した事柄のみが、自己を形づくる支柱となるのです。単に受身的に聞いたことは、壁土ほどの価値もありません。

自分が躬をもって処理し、解決したことのみが、真に自己の力となる。そしてかような事柄と事柄との間に、内面的な脈絡のあることが分かり出したとき、そこに人格的統一もできるというものです。


これは、仕事も同じですね。


とくに、リーダーはメンバーに自ら考え、悩み、解決策を見つけられるような指導をするべきです。


忙しいリーダーにとっては、メンバーに解決策を直接教える方が時間的にみれば、はるかに早いでしょうし、手間もかかりません。


しかし、それをしていてはメンバーは育ちません。


育たないどころか、指示待ち族への道を歩むことになるでしょう。


そうなれば、結局、一番苦しむのはリーダー自身です。


まさに、自らの首を絞めることになってしまいます。


情けは人の為ならず 


と言います。


本当にメンバーを育てたいなら、我慢して待つことが大切なのです。


もちろん、自らの学びについては、安易に師匠や先輩に助言を求めないことも忘れてはいけませんね。