【原文】
真の己を以て仮の己に克つは天理なり。身の我れを以て心の我れを害するは人欲なり。


【訳文】
自己には真の自己と仮の自己とがあって、真の自己をもって仮の自己に打ち克つのは天の道理である。これに対して、物質的・感性的な自己をもって精神的な内在的自己を阻害するのは人欲(我欲・私欲)である。


【所感】
真の自己が仮の自己に打ち克つのは天の道理である。また肉体の私が心の私を害するのは我欲があるからである、と一斎先生は言います。


既に第122日、第333日でも、同趣旨の内容が語られています。


真の自己とは、例えば孟子が惻隠の心で表したような、生まれたときには誰もがもっている天与の資質を発揮することであり、仮の自己とは、生きていく中で自然に身にこびりついてしまった心の垢を取り除けない状態を指すのだと思われます。


また、身の我れとは、第122日で取り上げた「軀殻の仮己」のことであり、「軀殻の己」とは耳目口鼻四肢をさすのだそうです。


よって「軀殻の仮己」とは、耳目口鼻四肢を通して身につけた欲に犯された己であり、心の我れとは、本然の真己とは、天与の心を発揮した己ということになります。


要するに、


真の自己 = 心の我れ 

仮の自己 = 身の我れ 


であって、最初の節と次の節は逆の角度から同じことを言っているのだと理解しました。


簡潔にまとめるならば、


我欲に犯されて、真の自分を見失うな


という教えなのでしょう。


以前にも書きましたが、人は無欲にはなれません。


だからこそ、この世に生まれた役割(天命)を発揮して、我欲に打ち克つ公欲を満たす努力をするべきなのです。


公欲を満たすことこそ、真の自己の発揮であって、天理なのです。