【原文】
人欲起る時、身の熱湯に在るが如く、欲念消ゆる時、浴後の醒快(せいかい)なるが如し。


【訳文】
欲望が起ると、あたかも体が熱湯の中にあるように、悶え苦しんで物を得ようと焦るが、その欲念が去って無くなると、あたかも入浴した後のように、気分がさわやかになるものである。


【所感】
欲望が起こるときというのは、自分の身体が熱湯の中にあるようであり、欲念が消えたときというのは、入浴後のさっぱりした気分のようである、と一斎先生は言います。


なかなか興味深い表現です。


欲望が起こるときというのは、欲望が満たされていない状態ですので、心は安定せず、不安や不満が渦巻く状態といえるでしょう。


それを一斎先生は、熱湯風呂に入っている状態に例えています。


欲が消えた状態とは、無欲の状態というのではなく、我欲が公欲によって抑えられて、心が安定している状態を指すのだと、小生は理解しています。


そのときはまるで、入浴後に清涼感を感じるのと同じようなものだと言います。


そうだとすると、常に欲望に駆られた凡愚な小生などは、常に熱湯風呂に入っていることになります。


よく芸人さんが熱湯風呂に入りますが、あれも熱湯風呂に入るまでの過程が芸なのであって、熱湯風呂に浸かっている時間はほんの数秒です。


欲望が熱湯風呂だと思うと欲望を抱くことが怖くなりますね。


我欲を抑え込めるような公欲を抱き、常に志を高くして、公欲を満たすように日々を過ごすならば、心はいつも入浴後の清涼感を感じられるのだとすれば、それを目指さない手はありません。