【原文】
凡そ活物は養わざれば則ち死す。心は我れに在るの一大活物なり。尤も以て養わざる可からず。之を養うには奈何(いか)にせん。理義の外に別方無きのみ。


【訳文】
だいたい生命のある物は、これを養っていかなければ死んでしまう。身体を主宰する所の心というものは、各自に具わっている一大活物であるから、特にこれを養わなければならない。これを養っていくにはどうすればよいか。それは物の道理を明らかにして、心をそれに照らしてみる以外に別の方法はない。


【所感】
すべて生き物というものは養わなければ死んでしまう。人間の心も我が身に有する重要な生き物である。心を養うことには特に留意すべきである。ではなにをもって養えばよいのか。道理を明らかにして、各自の心をその道理に照らして見る外に別の方法は無い、と一斎先生は言います。


心は生き物であるから、心を養うためには、物事の道理を見極め、常に正しい道を存しておくことが必要なのだと一斎先生は考えていたようです。


森信三先生は、心の食物についてより具体的に述べています。


長くなりますが、『修身教授録』の該当部分を引用します。


われわれは、この肉体を養うために、平生色々な養分を摂っていることは、今さら言うまでもないことです。

実際われわれは、この肉体を養うためには、一日たりとも食物を欠かしたことはなく、否、一度の食事さえ、これを欠くのはなかなか辛いとも言えるほどです。 

ところが、ひとたび「心の食物」ということになると、われわれは平生それに対して、果たしてどれほどの養分を与えていると言えるでしょうか。

からだの養分と比べて、いかにおそろかにしているかということは、改めて言うまでもないでしょう。 

ところが、「心の食物」という以上、それは深くわれわれの心に染み透って、力を与えてくれるものでなくてはならぬでしょう。

ですから「心の食物」は、必ずしも読書に限られるわけではありません。

いやしくもそれが、わが心を養い太らせてくれるものであれば、人生の色々な経験は、すべてこれ心の食物と言ってよいわけです。 

したがってその意味からは、人生における深刻な経験は、たしかに読書以上に優れた心の養分と言えましょう。

だが同時にここで注意を要することは、われわれの日常生活の中に宿る意味の深さは、主として読書の光に照らして、初めてこれを見出すことができるのであって、もし読書をしなかったら、いかに切実な人生経験といえども、真の深さは容易に気付きがたいと言えましょう。 

ちょうど劇薬は、これをうまく生かせば良薬となりますが、もしこれを生かす道を知らねば、かえって人々を損なうようなものです。

同様に人生の深刻切実な経験も、もしこれを読書によって、教えの光に照らして見ない限り、いかに貴重な人生経験といえども、ひとりその意味がないばかりか、時には自他ともに傷つく結果ともなりましょう。 

すなわちわれわれの人間生活は、その半ばはこれを読書に費やし、他の半分は、かくして知り得たところを実践して、それを現実の上に実現していくことだとも言えましょう。 

自分の抱いている志を、一体どうしたら実現し得るかと、千々に思いをくだく結果、必然に偉大な先人たちの歩んだ足跡をたどって、その苦心の後を探ってみること以外に、その道のないことを知るのが常であります。


森先生は、読書は心の食物だと言っているのです。


活字離れが深刻化している現代においては、多くの人の心は既に瀕死の状態にあるのか知れません。


時折、本は読まないが漫画で活字を見ているという人がいます。


しかし、漫画はそこに絵があるために、読者の想像力を著しく限定してしまいます。


やはり、活字を読んで、自分自身でいろいろと想像することが大切なのではないでしょうか?


心を養うために、まず本を読みましょう。