【原文】
聖賢は胸中灑落(しゃらく)にして、一点の汚穢(おわい)を著(つ)けず。何の語か尤も能く之を形容する。曰く、「江漢以て之を濯(あら)い、秋陽以て之を曝す。皜皜乎(こうこうこ)として尚(くわ)う可からざるのみ」。此の語之に近し。


【訳文】
聖人や賢人の心の中は、さっぱりとしていて、少しの汚れも存しない(誠に純真清明なものである)。この聖賢の胸中を形容する言葉としては、何という言葉が最も能く言い表しているだろうか。それは、『孟子』にある、曾子が孔子の人格を称讃した言葉に「揚子江や漢水の清らかな水で洗って、秋の陽光にさらし乾かした布のように、その潔白なことは、何物もこれにまさることができない」とあるが、この言葉が聖賢の灑落(しゃらく)な胸中を最もよく表しているものと思う。


【所感】
聖人や賢人は胸中はいつもさっぱりとしていて、一点の穢れもないものである。それを表現するのにどんな言葉が最も適しているであろうか。『孟子』にある、「江漢以て之を濯い、秋陽以て之を曝す。皜皜乎として尚う可からざるのみ」という言葉がこれに近いのではないだろうか、と一斎先生は言います。


聖人や賢人は、しっかりと自己受容ができているので、周囲の雑音に惑わされることなく、心はいつも晴れやかで汚れがないのだそうです。


それを『孟子』にある言葉で表現しています。


【原文】
昔者(むかし)、孔子の没するや、三年の外(ほか)、門人、任を治めて将に帰らんとし、入りて子貢に揖(ゆう)し、相嚮(むか)いて哭し、皆聲を失い、然る後に帰る。子貢は反(かえ)りて、室を場(じょう)に築き、独り居ること三年、然る後に帰れり。他日、子夏・子張・子游、有若の聖人に似たるを以て、孔子に事(つか)うる所を以て之に事えんと欲し、曾子に強(し)う。曾子曰く、「不可なり。江漢以て之を濯(あら)い、秋陽以て之を曝(さら)す。皜皜乎(こうこうこ)として尚(くわ)う可からざるのみ」と。(滕文公章句上)


【訳文】
昔、孔子が亡くなられたときは、門人は師を慕って普通の礼の定めにはない三年間の心の喪に服し、それが済んで、それぞれ荷物をまとめて郷里に帰ることになった。世話役の子貢の室に行ってあいさつを交わし、向かい合って声をあげて泣き、みな声をからしてやっと郷里に帰っていった。ところが、子貢はまた墓地に引き返して墓前の空き地に小屋を建て、さらに自分だけで三年間墓もりをして、郷里に帰ったという。また、ある日のこと、子夏・子張・子游らは、先輩の有若が孔子に似ているというので、孔子の身代わりにして、孔子に仕えたように仕えて先師をしのぼうと思い、曾子にもぜひにと賛成を求めた。すると曾子は「それはいけません。先師の御人格は、たとえば布をさらすのに、揚子江・漢水の豊富な水で洗いあげ、強い秋の日ざしでさらしたように、これ以上真っ白にならぬというほどの比類なきおかたであますものを」と言って承知しなかった。(宇野精一先生訳)


このエピソードは非常に有名ですので、本章とは関係ない部分まで引用しました。


小生は、『論語』を読むとき、孔子の弟子を第一世代と第二世代に分けて読みます。


第一世代の弟子は、孔子との年齢さが大体30歳くらい、第二世代は45歳くらいです。つまり、第一世代と第二世代とでは15歳前後の年齢差があります。


子貢というのは、第一世代を代表する高弟であり、お金儲けの名人で、稼いだお金を惜しげもなく孔子教団に貢いだ人でもあります。


儒教では親が死ぬと三年の喪に服します。


しかし、孔子は師匠であっても親ではないので、これを適用する必要はないのですが、弟子達は三年の喪に服します。しかし、子貢だけはさらに三年、合計六年もの間、喪に服したのだそうです。


ちなみに子貢は第一世代の弟子としては、最後まで幸せに人生を全うできた唯一の弟子だったようです。(顔回は病死(餓死?)、子路は戦死)


孔子が亡くなると、第二世代の代表格である子夏・子張・子游が、孔子より13歳年下で、見た目も言動も孔子に似ていた有若(ゆうじゃく)という弟子を新たな教団のトップに仕立てようとします。


しかし、同じく第二世代の代表格である曾子に止められて、この試みは流れてしまいます。


この結果、第二世代はそれぞれに孔子の教えを解釈して、いわゆる派閥を形成していきます。


第一世代は比較的お互いに仲が良かったのですが、第二世代になると互いに論争することが多かったようです。


これは、企業でも見られる傾向ですよね。


創業時のメンバーは社長を中心によくまとまり、一枚岩で進むのですが、規模が大きくなり創業時のことを知らない世代が会社の中枢に入ってくると、派閥争いが始まるというパターンです。


なお、曾子は孔子の精神面での教えを後世に残した人で、孔家と曾家との関係は2500年以上立った今でも師匠と弟子という関係のまま続いているのです。


『論語』の解説が長くなりました。


さて、ここで引用された『孟子』の言葉は、曾子が孔子の潔白さ、ここでいうなら灑落さを表現した壮大な言葉です。


一斎先生はこれをそのまま聖人・賢人の胸中をあらわす言葉として用いています。


大河の豊富な水で洗い、秋の強い陽射しで乾燥させたように潔白な心など、凡人には持ち得ようもありませんが、少しでも近づけるよう精進したいものです。