【原文】
能く変ず、故に変無し。常に定まる、故に定無し。天地間、都(すべ)て是れ活道理なり。


【訳文】
地球はいつも変らず自転公転を続けているが、我々はその変化に気づかずにいる(変化流転無きが如くである)。天上の月は常に照らして一定しているから、ことさら定と名づけることも要らない。天地間の物は総てこの通りで、これが天地の活きた道理というものである。


【所感】
常に変化しているものは、それ故に定まっているようである。常に不変のものは、それ故に変化しているようである。天地の間のことは、すべてこのように活きた道理なのだ、と一斎先生は言います。


これはどう理解すればよいのでしょうか?


小生には手に負えないので、解説本に助けを求めます。


久須本文雄先生の解説本では、天地間とあることから自然についての説明だとしています。


一方、『日本思想大系』では、以下のような解説が掲載されています。


現象としてさまざまに現れることができるから、それをそうさせる理というものは不変のものとして生き続けることができる。理が常に定まっているから、現象は時処位に応じてさまざまなものになることができる。

たとえば、「孝」を取り上げると、孝の情のあらわれ方は各人各様であり、また時と場合によってことごとく異なる。そういうふうにさまざまであり得るから、孝という徳目は不変に生き続ける。

この考え方、すなわち理に万変万様のあらわれ方を認める考え方は、理を定理とみなす朱子学に対して、陽明学(ただし中国の)の一つの特徴である。


おわかり頂けるでしょうか? 


この解説自体も哲学的で難解ですね。


小生としては、以下のように理解しておきます。


あらゆる変化に臨機応変に対応することができれば、それは変化ではなくなり、あるひとつの事象や言葉についても、その理解の仕方に様々なバラエティを許容することで、固定的なものではなくなる。


もっと儒学や哲学への造詣を深めた暁には、再度この章句の解釈に挑戦してみます。