【原文】
立誠は柱礎(ちゅうそ)に似たり。是れ竪の工夫なり。居敬は棟梁に似たり。是れ横の工夫也。


【訳文】
真実無妄の誠を立てるということは、あたかも家を建築する場合に、土台石をしっかりすえ置くと同じく、根本(基礎)を確立することであって、これは竪の工夫といえる。また、敬(主一無適、心専一)に居るということは、あたかも棟や梁を置くようなものであって、これは横の工夫にあたる。立誠と居敬(竪と横と)の両面の工夫によって立派な人間が形成すされる。


【所感】
誠を立てることは、建築でいえば、柱や土台をつくることに似ている。これは縦の工夫である。また身心をつつしむことは、建物でいえば棟や梁をつくることに似ている。これは横の工夫である、と一斎先生は言います。


ここも言葉は容易ですが、理解するには難解な章です。


「誠」とは、己の言葉に嘘をつかないことです。


つまり、これは自分自身に対する心掛けです。


「敬」は、うやまい慎むことです。


これは、他人に対する姿勢です。


そこで、自分自身に対する態度を「縦」、他人に対する態度を「横」と表現したのだと、小生は理解しています。


自分という建物の土台や柱は、誠を立てることで築かれ、そこに棟や梁のように奥行きをつけるものが敬なのだ、ということでしょう。


これは逆に解すれば、他人への敬意は、自分の中に誠がなければ発揮できるものではない、ということでもあります。


まずは誠ありきです。


本当に他人に敬意を表せる人は、己の中に確かな誠を有しているものだ。


一斎先生の言いたかったことは、そういうことではないでしょうか。


では、「誠」を学ぶにはどうすべきか。


答えは簡単です。


『中庸』、『孟子』を読むしかありません。