【原文】
足るを知るを知って之れ足れば常に足る。仁に庶(ちか)し。恥無きを之れ恥ずれば恥無し。義に庶し。


【訳文】
老子は、「足ることを知って満足するならば、いつも不足や不満を感ずることは無い」といっているが、これは仁に近いといえる。また、孟子は「自分の恥とすべきことを恥じずにいることを、恥としてにくむのであるならば、恥は無くなる」といっているが、これは義に近いといえる。


【所感】
『老子』第四十六章には「足るを知るの足るは、常に足る」とあるが、これは仁に近いといえる。また『孟子』尽心章句上に「恥づること無きを之れ恥づれば、恥無し」とあるが、これは義に近いといえよう、と一斎先生は言います。


引用された『老子』と『孟子』の該当部分をもう少し詳しく見てみましょう。


まずは『老子』第四十六章です。


【原文】
天下に道有れば、走馬を却けて以て糞(播)し、天下に道無ければ、戎馬(じゅうば)郊に生ず。罪は欲すべきより大なるは莫く、禍いは足るを知らざるより大なるは莫く、咎は得るを欲するよりいたましきは莫し。故に足るを知るの足るは、常に足る。 


【訳文】
世界じゅうに道理が行われて平和であるときは、早馬は追いやられて畑の耕作に使われるが、世界じゅうに道理がなくて乱れたときには、軍馬の活動が都の近くでも起こるようになる。戦争のもとはといえば、それは諸侯たちの私的な欲望だ。欲望をたくましくするのが最大の罪悪であり、満足を知らないのが最大の災禍(わざわい)であり、物を貪りつづけるのが最もいたましい罪過(あやまち)である。だから、満足を足るというその満足こそは、永遠に変わらない誠の満足なのだ。(金谷治先生訳) 


つづいて『孟子』尽心章句上です。 


【原文】
孟子曰く、「人は以て恥づること無かる可からず。恥づること無きを之れ恥づれば、恥無し」


【訳文】
孟子のことば「人は羞恥心がなければならぬ。羞恥心がないことを恥ずかしく思うようになれば、恥辱を受けることもなくなるのだ」(宇野精一先生訳)


どちらの言葉もとても深くて趣のある言葉です。


足るを知るとは昔から言われており、よく知られていますが、実際にいまあるものに満足するというのは簡単なことではありません。


人はいま手にしていないものを何とかして手に入れたいと願うものです。


仏教ではこれを、


求不得苦 


というのだと、今日出席した読書会で学びました。


これは、仏教の言葉である「四苦八苦」のうちのひとつです。 


ちなみに四苦八苦とは、 


生・老・病・死・愛別離苦(愛する人と別れること)・怨憎会苦(嫌いな人に会うこと)・求不得苦(欲しい者が手に入らないこと)・五蘊盛苦(肉体と精神が思うようにならないこと) 


だそうです。


仏教では、この八つの苦しみは失くすことはできないので、そういうものだとあきらめる(あきらかにする)ことが大事だと考えるのだ、と教えていただきました。


足るを知る、つまり求不得苦をそのまま受け入れるというのは、それほど難しいことゆえ、これができれば仁に近いのだ、と一斎先生は説いているのでしょう。


また、恥を理解し、自分が恥ずべきものを弁えることができるなら、正道をいく生き方ができるので、義に近いのだ、と一斎先生は説いています。


つまり、いま手にしているもの(こと)に満足し、恥じるべきこと(行ない)を恥じることができれば仁義を守る生き方に近づくのだということです。


ひじょうにシンプルだからこそ、実践するのは難しい教えですね。