【原文】
余意(おも)う、「天下の事固より順逆無く、我が心に順逆有り」と。我が順とする所を以て之を視れば、逆も皆順なり。我が逆とする所を以て之を視れば、順も皆逆なり。果たして一定有らんや。達者に在りては、一理を以て権衡と為し、以て其の軽重を定むるのみ。


【訳文】
自分は「世の中の事は元来、順・逆のあるはずがなく、自分の心に順・逆があるのだ」と思っている。自分の心がであるならば、人が逆境だと思っても、自分には順境なのである。自分の心が逆であるならば、人が順境だと思っても、自分には逆境なのである。はたして順・逆は一定しているのであろうか。道に達した人(悟人)にあっては、一つの道理をはかりとして、物事の軽重の度合いを定めるだけである。(順・逆などには別に関心はない)


【所感】
私は、「自分の周囲で起こる出来事には本来は順境や逆境などはなく、ただ自分の心がそう判断しているだけだ」と思う。自分が順境に居ると思って出来事を視れば、逆境さえも順境となる。自分が逆境に居ると思って出来事を視れば、順境さえも逆境となる。客観的な順境や逆境などはないのではないか。優れた人は一定の道理を判断基準として、その出来事の軽重を決めるものである、と一斎先生は言います。


とても心に響く言葉です。


ある意味でこれはアドラー心理学でいうところの「目的論」ではないでしょうか。


アドラーは、人間の行動には必ず目的があるとして、こう言っています。


われわれは自分の経験によるショック(トラウマ)に苦しむのではなく、経験の中から目的にかなうものを見つけ出す。自分の経験によって決定されるのではなく、経験に与える意味によって自らを決定するのである。


人生とは、誰かに与えられるものではなく、自ら選択するものである。自分がどう生きるかを選ぶのは自分なのだ。


この考え方によれば、順境や逆境というのは、ある目的があって、自分がその環境に居たいと思ったときに生まれるだけに過ぎない、ということになります。


かつて、V・フランクルがアウシュビッツ強制収容所で拷問を受ける中で、人間の尊厳は自分自身の中にあることに気付いたように、現在の環境に居ることに自分自身でどんな意味を与えるかが重要なのです。


逆境のときこそ、そこから何を学び、何を肥料として、後の人生でどんな大きな花を咲かせたいのかを考えてください。


でこぼこで曲がりくねった人生という道に、地図を与えてくれるのが逆境なのです。