【原文】
「君子は入るとして自得せざる無し」。怏怏として楽しまずの字、唯だ功利の人之を著(つ)く。


【訳文】
『中庸』に「立派な人はいかなる境遇に入ろうとも、不平不満の心を起すことなく、悠々自適することができる」とある怏怏として楽しまず(心に満足せず楽しまない)という字は、ただ功名や利益を貪る人だけが心に抱くものである。


【所感】
『中庸』第十四章に「君子は入るとして自得せざる無し」とある。心に不安があって楽しめないという字は、ただ目先の利益や功名を求める人に使われるだけである、と一斎先生は言います。


まず『中庸』のことばをもう少し詳しくみていきます。


【原文】
君子は其の位に素して行ない、其の外を願わず。富貴に素しては富貴に行ない、貧賤に素しては貧賤に行ない、夷狄(いてき)に素しては夷狄に行ない、患難に素しては患難に行なう。君子は入るとして自得せざること無し。


【訳文】
君子は現在の自分の境遇に従って(行なうべきことを)行なうだけで、それ以外のことをしようとは望まない。(すなわち)富貴の境遇にあるときは富貴の人として行ない、貧賤の境遇にあるときは貧賤の人として行ない、未開の夷狄の地にいるときは夷狄の地にいるものとして行ない、困難な立場にあるときは困難の中にいるものとして行なう。君子はどんな境遇に入っても、積極的にそれを自分のものとする。(金谷治先生訳)


身に沁みる言葉です。


小生もいま勤務先のトップと考え方にズレが生じており、やりたいことが自由に行なえない状況に歯噛みしています。


しかし、一斎先生はどんな状況にあろうとも、自分がいま行なえることを淡々と行なえ、と教えてくれています。


最も宜しくないのは、その境遇を悲観してやる気を失い何もしなくなることでしょう。


どんな境遇にあってもやるべきことはあるはずです。


小生の仕事の軸は、社員さんの育成をとおして、その先にいるお客様の幸せに貢献することです。


その軸をもう一度正して、いま自分にできることをひとつずつ実践していくしかありません。


タイムリーな一斎先生のアドバイスに心が震えます。