【原文】
朝にして食わざれば、則ち昼にして饑(う)え、少にして学ばざれば、則ち壮にして惑う。饑うる者は猶お忍ぶ可し。惑う者は奈何(いかん)ともす可からず。


【訳文】
朝飯を食わなければ、昼になって空腹を感ずると同じように、若い時代に学問をしておかなければ、壮年になってから、迷いが生じて途方にくれる。ひもじいのは辛抱ができるけれども、判断力に欠けて惑うのはどうにもしようがない。


【所感】
朝食を取らなければ昼には空腹を感じ、若い時に勉強しないと壮年になってから迷いが生まれる。空腹は耐えることができるが、壮年にして迷うような人はどうしようもない、と一斎先生は言います。


このことは、小生の反省も踏まえつつ、声を大にして言いたいことです。


ご承知のように、孔子は「四十にして惑わず」と言っています。


これは、それまでの20年間(20歳から40歳まで)に学び続けてきたからこそ、言えたことなのです。


小生が圧倒的に不足していたと痛感するのが、人間学の学びです。


何事も因果応報であり、行動の結果というものは、その場ですぐには反映されず、後になって現れるところに怖さがあります。


しかし、勉強というのは何も学問に限りません。


仕事も同じです。


20代、30代にがむしゃらに働き、多くの失敗を糧としてきた人だけが、40代以降に大きな成果を生みます。


結局、20代、30代に仕事と人間学をバランスよく学び続けてきた人だけが、永く成功を保つことができるのでしょう。


そして、学び続けた人だけが、50代で天命を知ることができるのです。


小生が天命を見つけられずに迷ったまま50代を迎えたのは、当然の帰結なのかも知れません。