【原文】
言語の道必ずしも多寡を問わず。只だ時中を要す。然る後、人其の言を厭わず。


【訳文】
言葉というものは、必ずしもその多いとか少ないとかということを問題にする必要はない。ただ、その言葉が時と場所において適切中正であることが大切である。そうであれば、聞く人は言葉の多いことを別にいやに思わない。


【所感】
コミュニケーションにおいては、言葉数が多いか少ないかはあまり関係ない。ただタイミングの問題である。ベストタイミングで伝えることができれば、人は素直に言葉を受け容れるものだ、と一斎先生は言います。


人との出会いが必然であるように、言葉との出会いもまた必然なのでしょう。


小生は、かつて部下指導で挫折した際、「最善観」という言葉に巡り合い、救われました。


最善観とは、我が身に起こるすべての出来事は自分にとって必然であると共に、最善であるという考え方です。


自業自得とはいえ、厳しい境遇に陥ったことは自分にとって必然で最善なのだ、と考えることで、過去を悔やむ気持ち振り切り、新たな一歩を踏み出すことができました。


そして、いま再び厳しい環境の中にありますが、今度は『管子』という古典を読んでいて、


閒(かん)を広(むなし)くせず  


という言葉に巡り合い、背中を押されました。


「たとえ閑職に追いやられても、その役職をおろそかにすべきではない(松本一男先生訳)」という意味の言葉です。


これは小生の卑近な例ですが、このようにほんの数語の短い言葉でも、人の心を動かし、人生を変えることがあります。


リーダーがメンバーにアドバイスを与える際にも、メンバーが答えを求めてもがき苦しむくらいになるまで手を貸さず、ここぞというタイミングで、心に響く短い言葉をかけてあげるという指導を心がけるべきでしょう。


いつでも安易にアドバイスを与えて、指導をしたつもりになっていては、かえってメンバーはリーダーを疎ましく思うことになってしまいます。