【原文】
多言の人は浮躁(ふそう)にして或いは人を枉(ま)ぐ。寡黙の人は測り難く、或いは人を探る。故に「其の言を察して其の色を観る」とは、交際の要なり。


【訳文】
言葉数の多い人は浮かれてさわがしく、時には人を傷つけることがある。口数の少ない人は容易に心中を推しはかることができず、時には人の心の中をひそかに窺おうとしている。それで、孔子が「達人は人の言葉をよく聞き分けて、その顔色を見抜く聡明さがある」と言われたことは、人との交際上極めて肝要なことである。


【所感】
口数の多い人はうわついた調子の人が多く、時には他人を傷つることがある。無口な人は心中を察し難く、時には他人の心中を伺い見ている。『論語』に「言を察して色を観る」とあるが、まさに交際の要諦である、と一斎先生は言います。


おしゃべり = 軽薄 

無口 = 重厚 


ということでしょうか? 


必ずしもそうではないと思いますが、そういう傾向があるというのは事実かも知れません。


まずは引用されている『論語』の章句を見ておきます。


【原文】
子張問う、士何如なれば斯れ之を達と謂うべき。子曰わく、何ぞや、爾の所謂達とは。子張對えて曰わく、邦に在りても必ず聞え、家に在りても必ず聞ゆ。子曰わく、是れ聞なり、達に非ざるなり。夫れ達なる者は質直にして義を好み、言を察して色を観、慮りて以て人に下る。邦に在りても必ず達し、家に在りても必ず達す。夫れ聞なる者は、色に仁を取りて行は違い、之に居りて疑わず。邦に在りても必ず聞え、家にありても必ず聞ゆ。(顔淵第十二)


【訳文】
子游が士(役人)はどういうのを達人ということができましょうか」と尋ねた
先師が逆に尋ねられた。
「お前の達人とはどういうのかね」
子張がお答えした。
「国にあっても評判がよく、家にいても評判がよいということでございます」
先師が謂われた。
「これは聞人(ぶんじん:有名人)といい、達人とは言わないよ。
元来達人というのは、真正直で、正義を愛し、人の言葉を深く推察してその顔色を正しく観察し、よく考えて人にへりくだる。このようであれば、国にあっても必ず通達し、家にあっても必ず通達する。さて聞人と言うのは表面は仁者らしく見せかけながら、行が伴わない。しかも自分では、それでいて疑わず、所謂要領よくやるので、国にあっても必ず評判がよく、家にあっても必ず評判がよいというものだ。
(伊與田覺先生訳)


世間や社内の評判がよいだけでは、聞人(聞えの良い人)である。


達人と呼ばれる人となるためには、以下の資質を有してなければならないのだ、と孔子は言います。


正直である

正義を愛する

洞察力に優れる

他人を立てる 


相手を見てその人がどんな人かを判断するときは、言葉だけでなく、上記の4点をチェックすれば間違いがないでしょう。


そして、自分自身もこの4点をしっかりと身につけなければなりません。