【原文】
簡黙沈静は、君子固より宜しく然るべきなり。第(た)だ当に言うべくして言わずは木偶(もくぐう)と奚(なん)ぞ択ばん。故に君子時有りて、終日言いて口過(こうか)無く、言わざると同じ。要は心声の人を感ずるに在るのみ。


【訳文】
口数が少なくて落ちついて静かなことは、君子(立派な人)は勿論そうであるべきことである。ただ、言わなければならないのに言わないのは、木で作った人形と少しも違う所がない。それで、君子は、時には一日中しゃべっても失言することがない。失言がないことはまったく言わないのと同様である。要するに、心の声、すなわち真心から出る言葉が、人を感動させるのだ。


【所感】
口数が少なく沈着冷静であることは、君子であれば当然のことである。ただし、言うべきときに言わないのでは、木偶の坊となにも変わらない。よって、君子は然るべき時に一日中言葉を発したとしても失言はなく、無駄な言葉は一切発しない。要するに真心からの声は人の心を動かすということだ、と一斎先生は言います。


コミュニケーションは、伝える側がどう伝えたかではなく、受けとる側がどう受けとるかがすべてです。


本章の一斎先生の言葉には、コミュニケーションの要諦が書かれています。


1.言葉はなるべくシンプルに
2.相手が臨むタイミングを逃さない
3.私欲を挟まず公欲をもつ


言葉は釘と同じであり、一度打ち込んだ釘は抜いても釘穴が残るように、一度相手の心に刺さった言葉は訂正しても心の傷を残します。


だからこそ、君子と呼ばれる人は無暗に言葉を発することはせず、言うべきときだけ、見事に心に響く言葉を発するのでしょう。


相手が言葉を欲しているとき、本心から相手のことを思って発した言葉は、しっかりと伝わります。


しかし、そこに少しでも私欲があると、どれだけテクニックを弄しても伝わりません。


ありきたりではありますが、「世のため・人のため」すなわち公欲をもって言葉を発することが大切です。 


コミュニケーションが苦手だという人は、上記の3点のどこかに落ち度がないかを確認してみてはいかがでしょうか?