【原文】
徳有る者は寡言なり。寡言な者は未だ必ずしも徳有らず。才有る者は多言なり。多言の者は未だ必ずしも才有らず。


【訳文】
徳を具えている人は言葉数が少ない。口数の少ない人は徳が有るとはいえない。才智のある人は言葉数が多いが、口数の多い人は才智が有るとは限っていない。


【所感】
徳のある人は寡黙である。しかし、寡黙な人が必ず徳があるとは限らない。才能のある人は口数が多い。しかし、口数が多い人が必ずしも才能があるとは限らない、と一斎先生は言います。


第412日でも記載しましたが、徳と才に関しては、伊與田覺先生が下記のように述べられており、勉強になります。


人間には「徳」と「才」の両方が大切でありますが、才よりも徳の優れた人を君子といい、徳よりも才のほうが優れている人を小人というのです。
 
また、自分よりも他人を大切にする人を君子といい、自分を中心に動く人を小人といいます。

さらに、「徳」も「才」も両方ともに優れておりながら、なお「徳」のほうが「才」よりも優れている人は「大人」・「人物」という。「賢」 というのもこれにあたります。

同じく「徳」も「才」も優れているけれど、「才」のほうが「徳」よりもな お優れている人を「人才(人材)」というのです。

逆に「才」も「徳」も少ないけれども、「徳」のほうがちょっと優れている人を「賢」に対して「愚」というんです。(『己を治め人を治める道』より)


さしづめ、小生はよくて「愚」といったところです。


人間学を学ぶ人は、当然、君子となることを目指します。


したがって、口数は少なく、必要な時に適宜言葉を発することを意識しなければなりません。


そして、意識しなくても、言葉を少なくし、かつ必要な時にはしっかりと言葉を発することができるようになれば、君子に近づいたと言えるのでしょう。


言葉より先に優しさが心に響くような爺やを目指します。