【原文】
虚名を衒(てら)いて以て実と為すこと勿れ。当に実名を謝して以て虚と為すべし。実名を謝して以て虚と為すこと勿れ。当に虚実を両(ふたつ)ながら忘れて以て自ら来るに任すべし。


【訳文】
実の無い空虚な名声を自慢して、これを実のある名声としてはいけない。実のある名声を断って無かったものとすべきである。実のある名声を断ってまでして、無かったものとしてはいけない。最もよいことは、虚名も実名も共に忘れ去って、自然に来るのに任すべきである。


【所感】
実態のない名誉を自慢して実態のあるものだと見せかけてはいけない。むしろ実のある名誉でさえ辞退してなかったものにすべきである。いや、実のある名誉を辞退してなかったものにするのでもいけない。虚実関係なくどちらも忘れて、あるがままに任せることに越したことはない、と一斎先生は言います。


虚実に関する言葉が続きます。


要するに、地位や名誉に固執することなく、目の前のことに全力を尽くせ、ということではないでしょうか。


この目の前のことに力を尽くすことを、儒学では「忠」と呼びます。


どの世界でもそうですが、地位や名誉を目的にすると、その地位や名誉を手に入れたところがゴールとなるため、その後が続きません。


小生の好きな長渕剛さんの『顔』という曲の歌詞にこうあります。


ひとつの山を越えたら

そこから下を見下ろす人もいる

向こうにそびえるはるか高い山を忘れて

今の自分に酔う人もいる


地位や名誉をゴールにすると、その向こうにそびえる次なる頂を見なくなり、その地位に固執して堕落するのが通常の人間ではないでしょうか。


しばらく絶景に酔った後は、再びその山を下り、次の山を登る準備をしなければなりません。