【原文】
毀誉は一套(とう)なり。誉は是れ毀の始め、毀は是れ誉の終りなり。人は宜しく誉を求めずして其の誉を全うし、毀を避けずして其の毀を免るべし。是を之れ尚(たっと)しと為す。


【訳文】
毀(非難)と誉(名声・名誉)は一組のもの(対語)である。褒められることは非難されることの始めであり、非難されることは誉められることの終りであるからである。人は誉められることをせずに、誉められるような行ないを十分にし、非難を避けようとせずに、非難されないようにするがよい。これが最もよい仕方である。


【所感】
毀誉とは互いに対をなすものである。誉められるということは謗られることの始まりであり、謗られるということは誉められることの始まりである。したがって心がけるべきは、誉められることを求めず、誉められた行いを継続することであり、謗られることから逃げずに、その謗られた行為を反省し謗られないように対処することである。これが貴いのである、と一斎先生は言います。


大切なことは、自分が善いと思うことを実践することであって、それに対する他人の評価はおまけのようなものだ、ということです。


そもそも他人の評価というものは、自分自身ではどうしようもありません。


それは他人の課題でしかないのです。


むしろ、


義を見て爲さざるは勇無きなり。(『論語』八佾第三)


であって、本来やるべきことをやっていないと非難されることだけは避けたいものです。


自分のやるべきことに大義があるかどうかは、他人が決めることではありません。


これこそ自己の課題です。


課題をしっかりと分離し、自己のやるべき大義を実践する人こそ、学問をする人間が目指す姿なのです。