【原文】
政に寛猛(かんもう)有り。又寛中の猛有り、猛中の寛有り。唯だ覇者は能く時に随い処に随いて、互いに其の宜しきを得ることを為す。是は則ち管・晏の得手にして、人に加(まさ)る一等の処なり。抑(そもそも)其の道徳の化に及ばざるも亦此に在り。


【訳文】
政事には寛大と厳正の両面がある。また寛大さの中に厳正さがあり、厳正さの中に寛大さがある。ただ覇者(武力をもって天下を治める者)は、よく時に従い所に従って、この寛大さと厳正さとをうまく使い分けしていく。この事は春秋時代の斉の宰相であった管仲と晏嬰が得意とする所で、特に常に抜きん出ている。道徳的感化(王道政治)に及ばない所もまたここにある。


【所感】
政治には寛大さと厳しさの両面がある。さらに、寛大さの中に厳しさがあり、厳しさの中に寛大さがある。覇者と呼ばれる人は、時と場所に応じて自在に寛大さと厳しさを使い分けた。これは管仲や晏嬰(あんえい)が得意とするところで、人に長じた点であった。しかしそれが、道徳的な感化に至らなかったところに、覇道の限界があるのだ、と一斎先生は言います。


一般的な解釈としては、


覇道 = 法治主義(法と罰で人を治める) 

王道 = 徳治主義(礼と徳で人を治める)


と理解されます。


覇道政治の代表とされるのが、ここに挙げられる管仲と晏嬰でしょう。


ともに春秋時代の斉の宰相ですが、管仲は孔子より少し前の人で、桓公を最初の覇王とすることに力を尽くした人であり、晏嬰は孔子と同時代の人で、景公を輔けて名宰相の名をほしいままにした人です。


管仲の言行録としては『管子』があり、晏嬰については『晏子春秋』があります。


特に、『管子』については、小生は「パワハラ・リーダー必読の書」と位置づけています。


彼らは、儒家が進めるような徳による政治をとらず、


倉廩実ちて礼節を知る(『管子』)


というように、まず国を強くする富国強兵が先だとして、徹底的な経済政策を推進しました。


彼らは賞罰を巧みに活用し、まさに寛大さと厳格さをテクニックとして使い分けました。


その結果、斉の国は徳は廃れ礼が乱れ、それが各国にも波及して、いつしか戦国時代へと突入し、やがて覇道政治の典型ともいえる秦の始皇帝が全国統一を成し遂げます。


ある程度の寛大さと厳格さの出し入れはが政治において必要なことは、一斎先生も認めています。


しかし、それが理想の政治でないことは理解しておくべきだということでしょう。


全国制覇を成し遂げた強大な秦王朝がわずか15年ほどで倒れたのに対し、儒学を巧みに取り入れた江戸幕府が300年の泰平を謳歌したのは、礼と徳をベースとする王道政治を実現できたからなのでしょうか?