【原文】
稗官(はいかん)・野史(やし)・俚説(りせつ)・劇本は、吾人宜しく淫声美色の如く之を遠ざくべし。余年少の時、好みて此等の書を読みき。今に到りて追悔(ついかい)すること少なからず。


【訳文】
小説や民間の歴史や伝説や演劇脚本などは、みだらな音楽や女の色香のように、これを遠ざけなければいけない。自分は若い頃に、これらの本を好んで読んだが、今は大変後悔している。


【所感】
奇談や小説、民間伝説や演劇の脚本などは、淫らな音楽や女性の色香のように遠ざけておくべきものである。私が若い頃は、これらの書を好んで読んだ時期があった。今になって思えば、大いに後悔するところである、と一斎先生は言います。


現代でいえば、漫画や流行の小説などがこれに当たるのでしょうか?


森信三先生は、漫画を小さいうちから読むと、知が早く開けてしまうと危惧されています。


本を読むと創造力が育まれますが、漫画を読むと映像が画一化されます。


例えば、『論語』を活字で読めば、読者はそれぞれの孔子像を頭に思い描くことになりますが、漫画ですと、長身でほっそりしていて髭を伸ばした孔子像が描かれているため、みな同じイメージを持ってしまうのです。


森信三先生はこのことを危惧されたのだと小生は理解しています。


最近では、漫画のビジネス書がブームを迎えています。


活字離れが進む中では、漫画の存在を完全に否定できない時代を迎えているといえるでしょう。


活字と漫画のバランスをどうとっていくかが、今後の教育のポイントになってくるかも知れません。


一方、流行の小説による害悪といえば、正しく美しい文章や言葉が乱れていくことにあるでしょう。


「的を射る」が正解なのに、いつしか「的を得る」となってしまったり、「一所懸命」が「一生懸命」になってしまうといった形で、時代と共に間違った使われ方がそのまま現代語となっていきます。


漫画や流行の小生を読むことを完全に否定することはできませんが、少なくとも初等教育においては、文豪の書いた美しい日本語の文章に多く触れる機会をつくって欲しいと願います。