【原文】
人は百歳なる能わず。只だ当に志、不朽に在るべし。志、不朽に在れば、則ち業も不朽なり。業、不朽に在れば、則ち名も不朽なり。名、不朽なれば、則ち世世子孫も亦不朽なり。
【訳文】
人間はとても百歳までは長生きすることはできない。ただ志だけは永久に朽ちないようにしなければいけない。志が永久に朽ちないものであれば、その人のなした事業も永久に朽ちないものとなる。その事業が永久に朽ちないものであれば、その人の名も永久に朽ちることがない。その名が永久に朽ちないものであれば、代々の子孫も永久に朽ちることがない。
【所感】
人は百歳までは生きられない。ただ、志だけは朽ちることのないようにすべきである。志が朽ちることがなければ、自分が為した仕事も不朽のものとなる。仕事が不朽であれば、その名も朽ちることはない。名が不朽であれば、子子孫孫までも永久に不朽である、と一斎先生は言います。
子子孫孫までの繁栄の本は、今生きている己の志にある、という強烈なメッセージです。
多くの偉人が、立志の必要性を語り続けています。
それが成功の素であることも、多くの偉人が証明しています。
それにもかかわらず小生のような凡人は、一生の志を立て切れぬままに年老いていきます。
ここで、小生が衝撃を受けたのは、自分の志が立たず、よい仕事ができなければ、自分の名が残らないだけでは済まず、子孫にまで悪い影響を与える可能性があるという件です。
孔子は、
人知らずして慍みず、亦君子ならずや
といい、
人の己を知らざるを患えず、人を知らざるを患うるなり
と言っています。
逆説的にみれば、十五歳で学問に志した孔子ですら、時には人に知られないことを怨んだのだと見ることもできます。
学問の主体を政治から教育へと移しながらも、決して学問から離れることがなかったからこそ、孔子は後世に名を残し、その子孫が今も現存しているのでしょう。
仕事を残せていない多くの人も、実は何をすべきかは明確に理解しているのではないでしょうか?
そこに一歩踏み込むことをしないのは、現状に甘んじ、大きな失敗をしたくないとか、傷つきたくないといった利己的な気持ちが勝っているからではないでしょうか?
まさに自問自答せざるを得ない箴言です。