【原文】
凡そ古器物・古書画・古兵器、皆伝えて今に存す。人は則ち世に百歳の人無し。撰著以て諸(これ)を後に遺すに如(し)くは莫し。此れ則ち死して死せざるなり。


【訳文】
だいたい古い諸道具、古い書画、古い兵器などは、総て今日まで伝えられて現存している。しかるに、人は百歳まで寿命を保つ人はいない。それで、書物を著作して後世に自分の思想などを残すことが最もよいことである。(これにまさるものはない)。こうすれば、その人は肉体が滅しても、その人の精神が永久に保たれて死なないことになるわけである。


【所感】
古い道具、古い書画、古い兵器などは、皆今に伝わっている。人間は百歳まで生きることはできない。そこで書物を書いたり編纂したりして後世に残すよりほかはない。これがすなわち肉体は死すとも精神は死なずということである、と一斎先生は言います。


食糧や医学の進歩によって、現代では、我国においても百歳以上の人口が6万5千人を超えているそうです。


一斎先生の当時からは、想像も出来なかった時代になったと言えるでしょう。


年齢はどうあれ、一斎先生のような学者であれば、著作を遺しておきたいと考えるのは当然でしょう。


ところが、面白いことに世界の4大聖人と言われるキリスト、釈迦、孔子、ソクラテスはいずれも著作(創作物)を遺していません。


孔子は、『詩経』を編纂し、『春秋』を書いたと言われますが、『春秋』は魯の歴史を記したものですので、創作物とは呼べないでしょう。


孔子自身も、自分の事を、


述べて作らず(古聖の道を伝えるだけで、自ら新説は立てない)


と評しています。


概して4大聖人には、有名になろうとか名を残そうという意識はまったくなかったのでしょう。


それが聖人の聖人たる所以なのかも知れません。


ところで、凡人も凡人なりに名を残したいと思うものです。


では、何をもって名を残すかといえば、昨日あったように自分自身の仕事で名を残すほかはないでしょう。


しかし、本当に組織のため、世の中のためになる仕事ができたなら、自分の名など忘れ去られても良いと思える度量を身につけたいものです。


他人からの承認を期待するのではなく、自己貢献感を大切にして生きることが、幸せを手に入れる重要な方法なのですから。