【原文】
人或いは謂う、「人主は宜しく喜怒愛憎を露(あらわ)さざるべし」と。余は則ち謂う、「然らず。喜怒節に当たり、愛憎実を得れば、則ち一嚬(ひん)一咲(しょう)も亦仁政の在る所、徒らに外面を飾るは不可なり」と。


【訳文】
「人君たる者は喜・怒・愛・憎(にくむ)の感情を顔色にあらわさない方がよい」という人がある。しかし自分は「そうではない。喜・怒の感情を事のよろしきにかない、愛・憎の感情が実を得ていたならば、人君が顔をしかめたり笑ったりすることも、また仁慈のある政治が存在する所であって、むやみやたらに、外面を飾るのはよくない」と思っている。


【所感】
「人の上に立つ者は、喜・怒・愛・憎の感情を容易に表に出すべきではない」と人は言う。「そうではない。状況に応じて喜びや怒りの感情を表し、愛することや憎むことも実情に適っているならば、時には顔をしかめたり、笑ったりすることも仁なのであり、いつでも表情を飾ることを考えるのはよろしくない」と私は言いたい、と一斎先生は言います。


『論語』を勉強していると、仁者というのはどんなときでも感情を表に出さない人だと思い違いをしている人に出会います。


本当の仁者とは、ここで一斎先生が言うように、うれしい時には笑い、哀しい時には泣き、信頼できる人物を愛し、時には人を憎みます。


すべて、時宜を得た感情を表すことができる人こそ、真の仁者なのです。


『論語』里仁篇にこんな言葉があります。


【原文】
子曰わく、唯仁者のみ能く人を好み、能く人を惡(にく)む。


【訳文】
先師が言われた。
「ただ仁者だけが、先入観なく、正しい人を愛し、正しく人を悪むことができる」(伊與田覺先生訳)


また、陽貨篇にもこうあります。


【原文】
子貢問うて曰わく、君子も亦惡むこと有りや。子曰わく、惡むこと有り。人の惡を稱(しょう)する者を惡む。下に居て上を訕(そし)る者を惡む。勇にして禮無き者を惡む。果敢にして塞がる者を惡む。


【訳文】
子貢が尋ねた。
「君子でもにくむことがありますか」
先師が答えられた。
「にくむことはあるよ。人の悪を人に吹聴するものをにくむ。下位にいて上位の者をけなす人をにくむ。勇気があって無作法な人をにくむ。そして思い切りがよくて道理(わけ)のわからない者をにくむよ」(伊與田覺先生訳)


このように孔子は、君子であっても人を憎むのだと言っています。


時宜を得た感情の露出はむしろ人間として当然だというのが、孔子の考え方なのです。


ところが、小生のような凡人ですと、人が嫌がるときに笑ったり、周囲の雰囲気を壊すような怒りを表してしまいます。


時宜を得た対応こそ君子(仁者)の態度であり、遠き目標ではありますが、常にそこを目指して精進せねばなりません。