【原文】
凡そ宰たる者、徒らに成法に拘泥して変通を知らざれば、則ち宰臣の用無し。時に古今有り、事に軽重有り。其の要は、守る所有って能く通じ、通ずる所有って能く守るに在り。是(これ)を之れ得たりと為す。


【訳文】
凡そ一国の宰相たる者は、いたずらに既成の法律にとらわれて、臨機応変にうまく処理することを知らなかったならば、宰相としての資格はない。時間的にも昔と今の違いがあり、事柄にも軽い重いの差がある。肝心なことは、既成の法律は固く守ってそれをよく運用し、運用しながらよく既成の法律を守っていくにある。このようなのを要領を得たものといえる。


【所感】
およそ宰相の地位にある人は、無暗に既存の法律の字句にとらわれて、臨機応変に法を適用することを理解しなければ、宰相としての用をなさない。時代的な違いがあれば、事に軽重もある。大事なことは、既存の法律を固く守りながら臨機応変に運用し、臨機応変に運用することで法律を守っていくというところにある。これを時宜を得る、というのである、と一斎先生は言います。


法の適用と解釈の問題です。


時代は変化し、それに応じて重要事項も推移するのは当然です。


その中で、法律を改正する必要性も当然生じてきますが、その前に解釈の幅を広げるという選択肢もあるということでしょう。


しかし、ここで忘れてはならないのは、法は誰のためにあるかということです。


現代では、主権在民とされ、当然法律も国民を守ることが主目的でなければなりません。


小生個人の私見としては、安倍内閣の進める憲法改正や集団的自衛権の政策には賛同していますが、やや性急な感を抱くのは事実です。


孔子は『論語』泰伯篇の中で、こう言っています。


【原文】
子曰わく、民は之に由らしむべし。之を知らしむべからず。


【訳文】
先師が言われた。
「民は徳によって信頼させることはできるが、すべての民に真実を知らせることはむずかしい」(伊與田覺先生訳)


こうした点はもちろん加味しつつも、出来うる限りの説明を行い、少しでも民に知らせる義務と責任があるのもまた然りなのではないでしょうか?