【原文】
上官たる者は事物に於いて宜しく嗜好無かるべし。一たび嗜好を示さば、人必ず此(これ)を以て夤縁(いんえん)も亦厭わざるのみ。但だ、義を嗜み善を好むは、則ち人の夤縁も亦厭わざるのみ。


【訳文】
上役たる者は、物事について好みが無い方がよい。一度自分の好みを人に示したならば、部下達は必ずそれを縁にして寄りすがり栄達を求めようとするものである。ただ、正しいことや善いことを好む場合は、人が寄りすがって来てもかまわない。


【所感】
上司の立場にある人は、物事に関して好き嫌いがあってはいけない。ひとたび好みを示すと、部下はそれをつてにしてすり寄ってくる。ただし、正しいことを行い、善いことを好む場合は、人がすり寄ってきても構わない、と一斎先生は言います。


この教えはやや理解に苦しみます。


確かに、人の上に立つ人は無暗に自分の趣味嗜好を示さない方がよいのかも知れません。


しかし、趣味などに関して好き嫌いを示すことは、人間臭さだと受け容れてもらえる場合もあるでしょう。


もちろん、部下のえり好みといった部分に発揮されては困りますが。。。


むしろ、すり寄ってくる部下を見極める目を養うことを意識すべきではないでしょうか。


もちろん、一斎先生の言われるように、常に正しいこと、善いことを好むリーダーであるに越したことはないのでしょうが、小生は、かえってそういう人物には近づき難さを感じてしまいます。


たとえば、『論語』を読んでいると、孔子という人は、哀しい時には号泣し、世の中をすねて悪者に加担しようとするなど、とても人間臭さを感じます


小生は、そこに孔子の魅力を感じて、孔子を敬愛しています。


一方、弟子の顔回という人は、非の打ち所のない君子です。


しかし、どうも顔回には人間としての魅力を感じないのです。


もちろんこれは、小生の器の問題であることは承知の上ですが。。。