【原文】
訴を聴くには、明白を要し又不明白を要す。明白を要するは難きに以て卻って易く、不明白を要するは易きに似て卻って難し。之を総ぶるに仁智兼ね至るを以て最緊要と為す。


【訳文】
訴え事を裁くには、はっきりしていることが大切であるし、また、はっきりしていないことも大切である。明白にすることは難しいようであるが、反って易しく、明白で無いことは易しいようであるが反って難しいものである。要するに、仁と智とを兼ね備えていることが最も肝要なことである。


【所感】
訴え事を裁くには、はっきりさせることが重要な場合もあれば、あえてはっきりさせないことが必要な場合もある。物事をはっきりさせることは、実は難しいようで簡単であり、逆にはっきりさせないことは、容易なようで実は極めて難しい。これをまとめると、仁と智とを兼ね備えることが最も重要だということになる、と一斎先生は言います。


ひじょうに日本人的な考え方ではないでしょうか。


いわゆる白黒をはっきりつけるだけがすべてではなく、ときにはあえてグレーな結論に留めるということです。


ここでは、行為の裏にある心情を察するということを考えてみます。


行為と心情の組み合わせには以下の4つがあります。 


① 善を為そうとして善を為す 
② 善を為そうとして悪を為す
③ 悪を為そうとして善をなす
④ 悪を為そうとして悪を為す 


行為という結果に焦点をあてれば、①と④については明確に白黒をつけておくべきです。


ただし、②と③については心情と行為が逆になっているケースですので、慎重な対応が必要です。


まちがっても、①と③、②と④に対して同じ評価を与えてはいけません。


②と③のようなケースでは、行為ではなく心情に焦点を当てつつ、行為に判断を下すとよいでしょう。


つまり、②のケースでは結果に対して叱責をしつつも、心情に対してフォローを入れ、次回のやり方を検討するように激励するべきです。


また、③のケースでは結果を評価しつつも、心情についてしっかりと釘を刺しておくべきです。


いずれにしても一斎先生の言うように、リーダーとして人の上に立つ人は、白黒をはっきりと確定する「智」と心情を察する「仁」とを巧みに使い分けることを心掛けねばなりません。