【原文】
心事は必ず面相と言語とに見(あら)わる。人の邪正を知らんと欲せば、当に先ず瞑目して其の言語を聴き、然る後に目を開きて後に目を開きて其の面相を観、両(ふたつ)ながら相比照し、以て其の心事を察すべし。是の如くなるならば、則ち愛憎の偏無きに庶(ちか)からん。


【訳文】
心に思っている事は、必ずその人の顔つきと言葉に表われるものである。それで、人が正しいか邪(よこしま)かを知ろうとするならば、まず目を閉じてその人の言葉を静かに聴きとり、それから目を開いてその人の顔つきを観て、両方を比較対照して、その人の心に思っている事を知るべきである。このようにして、人の心事を観察したならば、愛するとか憎むとかという偏った感情にとらわれることが無いであろう。


【所感】
人が心に思うことは必ず表情と言葉に表れる。その人が正しいか邪(よこしま)かを知ろうと思うならば、まず目を瞑って言葉を聴き、その後で目を開いて相手の表情を観察し、言葉と表情の両面を比較して心のうちを察するべきである。このようにすれば、愛憎の念から離れて客観的な判断が可能となるであろう、と一斎先生は言います。


人の善悪を判断する具体的な方法が示されています。


面白いと感じたのは、まず先に言葉を聴けという点です。


目を瞑ることで、相手の本心から出る微妙な音を心で聴くことができます。


言葉尻や抑揚など、その人の日頃の話し方がわかっていれば、さらに正しい判断を下せるでしょう。


その後、目を開いて相手の表情を観察することで、視線や口元の微妙な動きを把握することができます。


こうすることで、私情を挟まずに判断が下せるのだと一斎先生は言っています。


ところで、小生は過去に2度、部下である社員さんの不正を見抜くことができなかったという経験を有しています。


このふたりの共通点は、仕事が非常にできる優秀な社員さんだったという点です。


そこに、私の偏見が生れてしまい、不正を見抜くのに時間が掛かってしまったのでしょう。


客観的に人を判断するというのはとても難しいことですが、本章のアドバイスも参考にしながら、自らを鍛錬していくしかありません。