【原文】
天道・人事は皆漸を以て至る。楽(たのしみ)を未だ楽しからざるの日に楽しみ、患(うれい)を未だ患えざるの前に患うれば、則ち患免る可く、楽全うす可し。省みざる可けんや。〔『言志耋録』第285条〕


【訳文】
天地自然の現象や人間社会の事柄というものは、総て徐々に起ってくるものである。それで、楽しみがまだ来ない時に楽しみ、心配ごとがまだ来ない時に用心しておれば、心配ごとは免れることができるし、楽しみは完全になしとげられる。よく考えておくべきことである。


【所感】
天地自然の出来事も、人間の行なうことも、すべて徐々に変化するものである。楽しいことをまだ周囲が気づく前に楽しみ、心配なことをまだ周囲が気づく前に心配しておけば、心配事を避けることができ、楽しみを全うすることができる。この点をよく省察しておくべきだ、と一斎先生は言います。


「先憂後楽」という言葉をご存知の方は多いでしょう。

これは、范仲淹(はんちゅうえん)の『岳陽楼記』にある言葉で、「後楽園」という名称はここから取られています。

その意味するところは、為政者は人民の先頭に立って国のことを心配し、人民が楽しんだ後に自分が楽しむべきだ、ということです。

ビジネスの世界においても、リーダーは同じ心掛けで、部下である社員さんに接すると良いのでしょう。

しかし、一斎先生はもう少し捻りを加えて、楽しみも心配事も先に見つけて、民(社員さん)のために図れ、と教えています。

リーダーには、先読み力、先見性が必要だ、ということでしょうか?


「我々医療機器ディーラーが生き残るためには、物流に頼らない新規ビジネスを立上げる必要がある!」


今日は、四半期に一度のマーケティング会議が開催されており、会議の冒頭で経営企画室の川井室長が発言をしたようです。


「すでにアメリカでは、アマゾンが医薬品のデリバリーを始めるというニュースも発信されていますね」と神坂課長。


「諸君も知ってのとおり、私は全国の医療機器ディーラーが参画している物流プロジェクトを推進している。しかし、アマゾンに物流を握られたら、医療機器ディーラーの大半は潰れてしまうだろう」
川井室長の語気が荒くなっています。


「我々にあまり猶予はないということですね」と大累課長。


「いまのうちから様々な可能性に投資しておく必要がありそうですね」
西郷課長も発言します。


「我々の課題は、これまでの当社の強みを活かせる新規ビジネスの芽がどこにあるかを見つけることだ!」


「ビジネスのスピードは、年々増しています。先手を打てなければ儲けるビジネスを展開することは難しい時代ですよね」
3月から課長昇進が決まっている新美さんもこの会議に参加しているようです。


「しかし、一朝一夕でビジネスが立ち上がるわけでもないだろう」
と神坂課長が応酬。


「そうだね。兆しは必ずあるはずだ。佐藤一斎先生は『人に先んじて楽しみを見つけて世の中を楽しませ、人に先んじて心配事を見つけて世の中を救うことができれば、危機を脱して、楽しみを享受することができる』と言ってるんだ」
いつものように一斎先生の言葉を借りて、佐藤部長が発言しました。


「なるほどな。2つの側面があるということか!」
川井室長は興奮しています。


「2つの側面?」
西郷、神坂、大累、新美の4名の声が揃います。


「そうだ。ひとつは世の中を楽しませるビジネス。そしてもうひとつは世の中の心配事を取り除くビジネスだ」


「それを医療機器の提供という枠組みの中で考えるということですか?」と神坂課長。


「我々は医療機器ディーラーだからな。まったく畑違いの分野に踏み出しても勝ち目はないだろう」


「医療の世界で、人を楽しませるビジネスなんてあるのかなぁ?」


「新美、思考の幅を狭めるな! 我々だってお客様を楽しませることはできるのかも知れないぞ!!」


「川井さんが言うように、新しいビジネスの芽を発掘して育てるのが我々のミッションだ。次回の会議までに各自で探索して報告して欲しい」
佐藤部長がまとめます。


「いや、場合によっては、芽が出る前のビジネス、つまり土の中にあるビジネスを掘り当てなければ、先行者メリットは享受できないかも知れないぞ!」


会議後、川井室長を除く5名が喫茶コーナーで先ほどの続きを議論しています。


「ところで部長、先ほどの一斎先生の言葉は、新規ビジネスだけでなく、当社の社員さんたちに対しても活用できる言葉ですね」
人格者の西郷課長らしい発言です。


「なるほど。社員さんに先んじて楽しみを見つけて彼らを喜ばせ、社員さんに先んじて心配事を見つけて彼らの不安を取り除くことができれば、会社は安泰!というわけですね」
新美さんもうなづいています。


「最近また売り手市場になりつつあるからなのか、同業の連中と話をすると、どこの会社でも若手の退職者が増えているらしいですね」と大累課長。


「我々にはまだまだやるべきことがあるということか? 今度、鈴木を飯に誘って話し合ってみるかな?」
神坂課長がつぶやきました。


編集後記

最近のベストセラー本『未来の年表』でも警鐘が鳴らされていましたが、日本人の人口は、2055年には9000万人、2115年頃には5000万人程度にまで減少すると言われています。

人口の減少だけでなく、AI(人工知能)の発達によって、現在の多くの職業がAIにとって代られるとも言われます。

こんな時代を乗り越えるための解決策を求めると、『言四録』や『論語』といった古典にたどり着きます。

温故知新の考え方で、古いものを学び直す中から新しい意味を見つけ出すべきときに来ているのではないでしょうか?


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