【原文】
人命には数有り。之を短長する能わず。然れども、我が意、養生を欲する者は、乃ち天之を誘(いざな)うなり。必ず脩齢(しゅうれい)を得る者も、亦天之を錫(たま)うなり。之を究するに殀寿(ようじゅ)の数は人の干(あずか)る所に非ず。〔『言志耋録』第288条〕


【訳文】
人間の寿命には、一定の理法(定め)というものがあって、人がこれを長くしたり短くしたりすることはできないものである。しかしながら、自分の意志で養生しようとするのは、すなわち(その人自身の発意によるのではなくて)天がその人を誘い導いてそうさせるのである。また必ず思った通りに長寿を得るのもまた天がそれを授けてくれるのである。要するに、人の若死するか長命するかということは、天のなす所(天命)であって、人の関与する所ではないのである。


【所感】
人間の命にはさだめがある。それを自分の意志で短くしたり長くすることはできない。しかし、自らの意志によって摂生をしようとする者は、実は天が導いてそうさせているのである。長寿の者もまた天がその命を与えるのである。これを突き詰めていくと、長寿や若死するさだめについては、人が関与することのできないことなのだ、と一斎先生は言います。


「え? 兄が・・・ですか? はい、わかりました。ありがとうございました」


「あなた、どうしたの?」 


「兄が死んじまった・・・」 


神坂課長のお兄さんが突然の事故で45年の生涯を閉じたようです。


「ずっと目標にしてきて、いつも追いつけなかった。いつか絶対に追い越してやろうと思って、同じ営業の世界に入ったのに・・・。追い越す前に死んじまいやがった」


葬儀を終えた神坂課長は、目標を失い、ぽっかりと胸の奥に穴が開いてしまったように感じています。


仕事に復帰してからも、ずっと沈みがちな神坂課長をみて、周囲もかける言葉が見つからないようです。


「佐藤部長、あんなに節制して、常に体を鍛え、心を磨いてきた兄が45歳で死んでしまうなら、好きなものを好きなだけ食って、好きなことだけやって生きた方がよっぽど幸せかも知れませんね?」


佐藤部長行きつけの小料理屋「季節の味 ちさと」で、ふたりは食事をしているようです。


「一斎先生は、『人の寿命は天から与えられるもので、人間の力ではどうしようもないと言っているね」


「結局、人間は自分の一生すら自分の思い通りにコントロールすることはできないんですね」


「神坂くん、長生きすることだけが幸せだとは限らないんじゃない?」


ちさとママが、あまりにもいつもと違う神坂課長をみて声を掛けたようです。


「え?」


「人間って、長く生きれば生きるだけ幸せなのかしら? 長生きできなければ不幸なのかしら? じゃあ、何歳まで生きたら幸せなの?」


「・・・」


「あたしの人生のバイブルにはね、『人はどれだけ長く生きたかが重要なのではなく、どれだけ深く生きたかが重要だ』って書いてあるの」


「どれだけ深く生きたか・・・」


「そうだね。これは私の師事する方に教えてもらったことなんだけどね。人間の一生というのは、究極的には、生まれて、生きて、死ぬという3つしかないんだ」


「生まれて、生きて、死ぬ・・・」


「そのうち、『生まれることと死ぬことは、自分ではどうしようもないことだよね」


「まさに兄の死は、兄の力では避けることができなかったわけですから・・・」


「でもね、『生きる』ことだけは、自分で自由にできるんだ。ただ獣のように食べて寝るだけの生活を選ぶか、神坂君のお兄さんのように自分を鍛え、修養して生きる道を選ぶかは、自分自身の問題なんだ」


「はい」


「それに一斎先生は、『摂生する人は、天がそうさせるのだ』とも言っているよ」


「天が?」


「つまり、神坂君のお兄さんが一所懸命に節制し修養したのも、天がお兄さんにそうさせたかったからだ、ということだよ」 


「わたしもそう思うわ。お兄さんは天からの使命をしっかりと果たしたんだって」


「神坂君のお兄さんの45年間は、私の今までの51年間よりもはるかに深い人生だったんじゃないかな」


「兄は、今頃天国でどう思ってるんですかね?」


「お兄さんがご自身の人生をどう振返っているかはわからない。でもね、きっとこう思っているはずだ」


「???」


「『勇(いさむ:神坂課長の名前)、俺を追い越してみろ! 俺を追い越すまではこっちに来るなよ!!』ってね」


神坂課長は、これまで堪えていたものを抑えきれなくなり、しばらく嗚咽していたそうです。


編集後記 

どうせ自分の人生を自分自身で自由にできないなら、好き勝手に生きた方が楽じゃないか? 

そう考えてしまいがちですね。

しかし、実際に好きなことしかやらない生活をしてみると、何か心に後ろめたさを感じるものです。 

それは、天から課された使命(天命)から逃げていることに、
自分自身で気づいているからではないでしょうか?

宗教改革で有名なマルティン・ルターは、

たとえ明日、世界が滅びようとも今日私はリンゴの木を植える。 

という名言を遺しました。

天から与えられた使命を果たすとは、結局、目の前にある仕事に手をつけることなのです。


Martin_Luther












画像引用 Wikipedia