【原文】
視聴言動は各々其の度有り。度を過ぐれば則ち病を致す。養生も亦吾が道に外ならず。
【訳文】
見たり聴いたり話したり動いたりすることは、それぞれ適度というものがある。度を過ぎる(無理をする)と病気になる。これと同じく、身体を養生することも、また度を過ごさず適度を守っていくにある。
【所感】
視ること、聴くこと、話すこと、動くことそれぞれ節度というものがある。それを超えてしまえば弊害となる。養生することも同じであって、度を守ること以外にやり様はない、と一斎先生は言います。
「善久、それはやり過ぎだろう?」
「でも、神坂課長がいつも、お客様のお困りごとを解決するのが私達の使命だって言われているので・・・」
「それはそうだが、我々は慈善事業をしている訳じゃないだろう。ねぇ、山田さん、どう思う?」
「善久君の気持ちはわかりますが、やはり利益がマイナスのビジネスはよろしくないでしょうね」
今日は毎月恒例の課別営業会議が行われているようです。
槍玉に上がっているのは、新人の善久君のようです。
「確かにY社の提示した価格はちょっと常軌を逸していると思うんだけど、それに合わせる必要があるのかな?」
「山田さん、でも先生はO社の内視鏡がどうしても欲しいと言ってくれてるんです」
「しかし、O社さんはこれ以上仕入れ値を下げるのは無理だと言ってるんだろう?」
「はい・・・」
「善久、内視鏡以外でのお手伝いはできないの?」
「本田君の言うとおりだよ、我々は総合医療商社なんだから、HKクリニックさんとお取引を拡大する中で、トータルのサポートを考えるべきだろう!」
「トータルのサポートですか・・・」
「単なるお客様の言いなりになることが、お客様のお役に立つことだと勘違いしていないか! 我々はお客様の下僕じゃないぞ!!」
「だいぶ、カミサマお元気になられましたね」
石崎君が小声で本田さんにささやいています。
「なんだ、石崎! 意見があるなら大きな声で発言しろ!」
「いえ、ちょっと確認しただけなので・・・」
「善久君、適正価格で買っていただいているお客様の気持ちも考えてみるといいよ。こんな価格で販売したことを知ったらどう思うだろうね?」
山田さんが優しく問いかけます。
「HKクリニックさんが、Y社にとって重要なお客様だからこそ、あんな価格を出してきたんだろう。しかし、当社が内視鏡だけの商売でこの価格を提示したら、今後永遠に「安売り業者」のレッテルを貼られてしまうぞ!」
「では、この商談は諦めろということですか?」
「馬鹿野郎! 誰が諦めろと言った。適正な利益をいただける金額で注文をもらってくるんだよ!!」
「ど、どうやってですか?」
「それを考えるのが担当者じゃないのか! HKクリニックさんは、大腸内視鏡検査をやっているんだろう?」
「はい、検査数はかなり多い施設です」
「大腸内視鏡ならO社の評価の方が上なのは、お前も理解しているだろう。そこを押してみるんだよ!」
「善久君、なにごとも節度というものがあることを学んで欲しいな」
佐藤部長が発言しました。
「一斎先生はね、『視ること、聴くこと、話すこと、行動すること、すべてに節度がある。その節度を超えてしまうと必ず禍になる』と言ってるんだ」
「禍ですか?」
「そうだよ。さっき神坂君が言ったように、当社が「安売り業者」というレッテルを貼られてしまうこともそうだし、山田君が言ったように、他のお客様の信頼を失うかも知れない」
「善久、新人のお前にとっては簡単なことじゃないことは俺にだってわかっている。しかし、『適正な商売をしてこそ、真の信頼を得られる』ということを理解して欲しい」
「私にできるでしょうか?」
「そういう弱気なことを言ってるからお前はダメなんだよ!! ねぇ、部長?」
「神坂君、君の言動も節度を超えていないか?」
「えっ、あ、はい・・・」
「ぷっ」
「石崎! 何がおかしいんだ!!」
編集後記
本章を読んで真っ先に思い出したのが、中江藤樹先生の「五事を正す」です。
五事を正すとは、以下の五点です。(財団法人藤樹書院資料より)
貌(ぼう) : 和やかな顔つきで、人と接すること。
言(げん) : やさしい言葉で話すこと。
視(し) : やさしいまなざしで相手を見つめること。
聴(ちょう) : 人の話しをきちんと聴くこと。
思(し) : 人を思いやること。
本章の一斎先生の言葉も、節度がどこまでなのか?と考えてしまうと難しくなってしまいます。
それよりも日頃から藤樹先生の教えを守って五事を正せば、自然と節度を守ることができるのではないでしょうか?