【原文】
児孫の団集は養を成し、老友の聚話(しゅうわ)は養を為す。凡そ吉慶事を聞けば亦皆養を成す。〔『言志耋録』第293条〕


【訳文】
子や孫たちが親しく集まり合うことは、老人の養生(長生き)になる。また、年をとった友達が集まって話し合うことも養生になる。なお、大体めでたいことや喜びごとを聞くということも養生になる。


【所感】
子供や孫が集まって団欒すること、老人同志が集まって話をすること、おめでたい出来事を聞くことは、皆養生となる、と一斎先生は言います。


「山田さん、年末年始は里帰りしたんでしょ?」


「ええ、課長。両親に孫の顔を見せてきました」


「山田さんの実家はお寺だったよね?」


「浄土宗のお寺です」


「やっぱり育ちの違いかねぇ、山田さんと私の違いは」


「うん、うん」


「石崎! なんでお前がうなずいてるんだよ!」


「あ、外出してきまーす」


「あいつ! ところで、我々くらいの年齢になると、孫の顔を見せるのが最大の親孝行だよね」


「本当にそうですね。それと、親父が言ってたんですけど、同世代でお寺に集まって皆でワイワイやるのも、老人の長生きの秘訣なんだそうです」


「やっぱり、いくつになってもサードプレイス(第三の場所)は必要なんだね」


「特に、老人は仕事がない人も多いので、家庭以外に集まる場所があるかないかは重要みたいですね。皆でお経を唱えているようです」


「一斎先生もそれについて言葉を残しているよ」


「佐藤部長、やっぱり一斎先生もそう考えていたんですか?」


「うん、晩年の『言志録』の中で、『子供や孫の顔を見ること、同世代で談笑すること、そしてめでたい話を聴くことが長生きの秘訣だ』と言っているんだ」


「めでたい話を聴くこともですか?」


「うん、年をとるとさ、自分の先はある程度みえてくるから、『自分の幸せよりも他人の幸せの方をうれしく感じるようになるのかも知れないね」


「みんなで集まって、他人の幸せを喜びあうなんて、素敵ですね」


「そうだね。でも、人間は本来、そういう心をもって生れてくるというのが儒学の考え方でもあるんだよね」


「ああ、仏教にも『随喜功徳』という言葉があります。人の幸せをよろこぶことで自然と徳を積むことになる、という考え方です」


「なるほど、よく勉強しているね。ところで、山田君はお寺を継がないの?」


「僧籍はもっていますが、兄がいますので、お寺は兄が継ぐ予定なんです」


「次男坊か?」


「はい。ただ、お盆などの繁忙期には、お休みをいただいてお寺の手伝いはしているんですけどね」


「松尾芭蕉にご縁のあるお寺なんだよね」


「課長、ありがとうございます。お寺の境内に日本最古の松尾芭蕉の供養塔があるので、俳句ファンが時々来てくれるみたいです」


「ほお、一度ぜひお邪魔したいな」


「ありがとうございます。そのときは私がご案内します」


「山田さん、本格的に僧侶として生きていくという選択肢はないの?」


「そうですね・・・」


「お、そういうことも考えてるの?」


「いや、課長に叱られているときは、『自分は営業よりも僧侶として生きていく方が向いているのかな?なんて思います」


「や、山田さん・・・」


「神坂君、こりゃ一本取られたな」


ひとりごと 

ちょうど今日、小生の勤務先の会長と話をしていたときに、78歳になる会長が「自分のお世話になった先輩が亡くなったという話を聞くと、ガクッとくる」という話をしていました。

小生の父親も今年80歳になります。

今日の章句を読んで思うのは、帰省した際には、孫の顔をみせるだけでなく、とにかく楽しい話をして、なるべく笑い合いたいということです。

50歳をこえても両親の笑顔を見ることができる喜びと有難さに、あらためて気づかせていただきました。


来迎山誓願寺 芭蕉供養搭
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