【原文】
花木を観て以て目を養い、啼鳥(ていちょう)を聴いて以て耳を養い、香草を嗅いで以て鼻を養い、甘滑(かんかつ)を食(くら)いて以て口を養い、時に大小の字を揮灑(きさい)して以て臂腕(ひわん)を養い、園中に徜徉(しょうよう)して以て股脚(こきゃく)を養う。凡そ物其の節度を得れば、皆以て養を為すに足るのみ。〔『言志耋録』第314条〕
【訳文】
花の咲いた木を観て目を養い、啼く鳥の声を聴いては耳を養い、芳香のある草の香をかいでは鼻を養い、甘くて口あたりのよい物を食べては口を養い、時には大小の字を書いては臂(ひじ)や腕を養い、庭園をぶらぶら歩いては股や脚を養う。すべて何事でも節度(適当な度合)を得たならば、ことごとく自分の身の養生とするに足るものである。
【所感】
花や木を鑑賞して目を養い、鳥の鳴く声を聴いて耳を養い、
香草の香りで鼻を養い、甘くてやわらかなものを食べて口を養い、時には大小の文字を書いて肱や腕を養い、庭を散策しては股関節や脚を養う。なにごとも節度をもって行えば、すべてが養生となるものだ、と一斎先生は言います。
今日は休日です。
佐藤部長とN鉄道病院名誉院長の長谷川先生の二人で、白鳥(しろとり)庭園を散策しているようです。
「この前、佐藤さんから教えてもらった『言志耋録』の言葉があったでしょう」
「『なにごとも節度をもって行えば養生になる』という章句ですか?」
「そうそう。あれを聞いて、白鳥庭園を久しぶりに歩いてみたいなと思って、佐藤さんをお誘いしたんだ」
「そうだったんですね」
「なにせ、ここに来れば、花や木を鑑賞できるし、鳥の鳴き声を聴くこともできるし、香草の芳しい香りを楽しむこともできるでしょう」
「おまけに、足腰にも良い運動になりますね」
「そうなんだよ。普段から文字を書くことは続けているから、肱や腕の運動だけは自信があるんだ」
「先生のご達筆な文字には、いつも感銘を受けます」
「いやいや、相当なくせ字だよ」
「自分の悪筆が恥ずかしくなります」
「相変わらず持ち上げるのが上手だね、佐藤さんは」
「長谷川先生、私はお世辞は大の苦手ですよ」
「ははは。ところで、今年は厳冬だけに、梅の開花も遅れそうだね」
「そうですね。早い年ならもう咲き始めていますからね」
「ちょっと残念だな。この時期は、鳥のさえずりを聴くにも早すぎるしね」
「先生は、どの鳥の鳴き声が好きですか?」
「私はクロツグミが好きだなぁ」
「いいですねぇ。私はホオジロですかね」
「静かに目を閉じて鳥の鳴き声を堪能したいね。佐藤さん、また暖かくなったらご一緒してもらえる?」
「ええ、いつでも喜んでお供しますよ」
「さてと、もうひとつ楽しませていないパーツがあるんだよ」
「では、そろそろ休憩しますか?」
「この庭園にある『茶寮汐入』の『抹茶わらび餅』が大の好物でね」
「よく存じております。これでお口を養ってあげるわけですね」
「うん。もちろん口を楽しませてくれるんだけど、それだけじゃなくて、心も体も癒される味なんだよ」
「では、私も今日は同じものをいただくことにします」
「いらっしゃいませ!」
ひとりごと
本日の物語の中で紹介した白鳥(しろとり)庭園は、愛知県名古屋市に実在する日本庭園です。
熱田神宮から徒歩10分圏内と都会の中にある庭園ですが、3.7ヘクタールの敷地面積を有する東海地方最大級の庭園です。
中部地方の地形をモチーフにし、築山を御嶽山に、そこを源流とする水の流れを木曽川に見立てた美しい景観に癒されます。
日々の仕事や人間関係に疲れたときに、郊外まで出掛けてのんびりできれば理想的ですが、なかなかそういう時間をとれない方は、お近くに庭園がないかを調べてみてはいかがでしょうか?