今日の神坂課長は、めずらしくひとりで「小料理屋ちさと」に居るようです。


「神坂君、今日はひとりなのね」


「ママ、今日はひとりで色々考えながら旨い酒を飲みたいなと思ってね」


「そうね。じゃあ少しひとりにしておきましょうか?」


「ねぇ、ママは自分の天命が何かなんて考えたことはあるの?」


「天命? 大きな話ね」


「最近、俺も佐藤部長の影響で時々『言四録』を読んでるんだけどさ。昨日読んだ言葉に、『人間には必ず天命というものがある。それが何かをよく考えて天命を果たさなければ、必ず天罰が下るものだ』とあったんだ。俺はいったい何をするためにこの世に生まれてきたのかなぁ」


「神坂君、すごいじゃない。勉強してるんだね。そうね、わたしの天命は何だろうね。このお店に来てくれるお客様に喜んでいただけるお料理をお出しして、時々お話もお聞きして、少しだけでも心を癒せる場所をつくることかな」


「お客様にとってのサードプレイスの提供ってところか」


「今はそんな感じかな」


「すごいよ。それでも俺よりはよっぽど明確だもんな」


「ありがとう。わたしの人生のバイブルにはこんなことが書いてあるの。『その人の寿命は、天がその人に与えた使命を果たすだけの時間は与えてくれる。それより永くもなければ短くもない』ってね」


「なるほど、天は役割だけでなくそれを果たすだけの時間も与えてくれているのか」


「だから、無理して天命を探そうとするよりも、日々の仕事や生活の中で自分に与えられた役割をやり切れば、自然と天命が見えてくるんじゃないのかな?」


「そうかもね。俺さ、最近マネジメントが楽しくなってきたんだ。以前は、自分がトップセールスであり続けることがステータスだと思っていたから、部下の育成なんて興味がなかったし、俺には性に合わないって思ってた」


「そんな感じだったよね。そういう愚痴ばっかりだったもん」


「ははは、バレバレだね。でも、今は後輩、特に若い社員さんを応援することにすごくやりがいを感じるようになったよ」


「成長したわね。偉いぞ、神坂君」


「子供を褒めるような言い方しないでよ」


「よし、じゃあご褒美として、今日は特別のお酒を出してあげる」


「おー、そういうのは大歓迎!」


「ジャーン。はい、『越乃幻の酒』」


「なにこのお酒。初めて見たよ」


「もうすぐ創業150年目を迎える新潟の蔵元さんが、1シーズンに88本しか提供しない幻のお酒よ。もちろん代金はいただきません!」


「これはすごいご褒美だ。 しばらく天命は置いておいて、旨い酒を堪能することにします!」


ひとりごと 

孔子は、五十にして天命を知ったといいます。その言葉の影響なのか、人間も五十歳くらいになると、自分の天命は何かと考えるようになります。

しかし、天命というものは、求め続けてようやく見つかるものなのかも知れません。

結局、天命を知るためには、いまここで自分にできることに力を尽くすしかないようです。

そして、その先に見つかる天命というものは、自分が思い描いたり、期待していたものとあまりにも違うものであるかも知れません。

孔子がそうであったように。


【原文】
人は須らく自ら省察すべし。「天は何の故に我が身を生み出し、我れをして果たして何の用に供せしむとする。我れ既に天の物なりとせば、必ず天の役あらん。天の役共せずんば、天の咎必ず至らん」と。省察して此(ここ)に到れば、則ち我が身の苟くも生く可からざるを知らん。〔『言志録』第10条〕



【訳文】
人間は皆、自ら以下の事を省みて考えをめぐらせねばならない。「天はなぜ自分をこの世に生み出したのか。また天は自分に何をさせようとするのか。天が自分を生み落としたとすれば、必ず天命というものがあるはずである。その天命を果たさなければ、必ず天罰が下るであろう」と。自ら省み、考察してこの結論に到達すれば、自分がなぜ生きねばならないかがわかるであろう。



maboroshi-jg-01