「神坂課長、敗戦事例について、土日2日間をかけて自分なりに分析してみました」
「おお、善久。何かピカッと光るものが見つかったか?」
「ピカッとまではいきませんが、大きな思い違いをしていることに気づきました」
「どんな思い違いだ?」
「はい。私はとにかく自分の売上を上げることだけを考えていました。そのために、製品の仕様上のメリットばかりをアピールしていたように思います」
「なるほどな。良いところに気がついたじゃないか」
「はい。以前に課長からも教えていただきましたが、結局お客様が支払ってくれる金額の大小というのは、そのお客様の満足度の大小に比例しているんですよね」
「その通りだと思うよ」
「先日のSクリニックさんの件にしても、院長先生が安くしろと言っているということは、商品に対する満足度が低いという証拠ですよね」
「まだ購入してもらっていないから、細かいことを言えば、満足度じゃなくて期待度かもな」
「ああ、なるほど。それで、その期待度を上げない限り、現状の先生の期待度に合わせた価格まで下げざるを得なかったのだろうと思います。それなのに私は何も手を打たずに、『価格はこれが限界です』の一点張りでした。敗戦して当然だったのでしょうね」
「そういう話を事前にしたいから、善久の考え方を聞きたいと言ったんだよ」
「はい。あのときは、メーカーさんに交渉して価格を下げてもらえる可能性は低いと思っていたので、当社の利益を削るか、そのまま粘るかのどちらかしか手がないと思ってしまいました」
「そうだな。他にも手はあったのにな」
「はい。結局は、私が売りたいだけで、先生があの器械を購入するメリットを全然説明できていなかったことに気づきました」
「それは何故だと思う?」
「はい。お客様のお役に立ちたいという気持ちが圧倒的に足りていなかったんじゃないかと思います」
「おお、凄いところに気がついたじゃないか。我々営業マンは、お客様に対して尊敬の気持ちを持つことがとても重要なんだよね。敬意があるからこそ、心から喜んでもらいたいという気持ちも沸いてくるわけだ」
「はい、喜んで頂こうという気持ちがゼロだったのがこれまでの私のスタンスでした。負ける訳です」
「ははは。もう一つあるとすれば、自分自身が謙虚になることも重要だな」
「謙虚さですか?」
「そう。今回のように初めて大きな器械を買っていただくお客様の場合は、最初から利益をたくさん取ろうと思わずに、『損して得取れ』ではないけど、まずは譲る精神が必要だったのかもな」
「そうですね。利益にこだわり過ぎていました」
「我々はビジネスをしているんだから、利益を意識することは非常に大切なことだよ。でも、担当するそれぞれのお客様と善久との関係はすべて一律じゃないよな。今回のSクリニックさんの場合は、まずは器械と一緒に善久という人間も買ってもらって、少しずつ信頼を得ていくという方向性を選ぶべきだったんじゃないか?」
「はい。そう思いました」
「では、お客様のお役に立つには何が必要だ?」
「お客様のお困りごとを見つけ出すことだと思います」
「そのためには、いろいろとお話を聴かせてもらう必要があるよな」
「はい、傾聴力が必要だなと感じます」
「そうなんだよ。俺の新人のときはまさにそうだった。ひたすら俺が話し続けて、お客様のお話はほとんど聴けていなかった。俺は8連敗してから、ようやくそこに気づいたんだ。これも謙虚さが不足している証拠だよな」
「それと、敬意も不足しているのでは・・・」
「そうだな。なんとかお客様を言いくるめてやろうと思っていたのかも知れないな。ところで傾聴力については、ある程度テクニックも必要だから、今度同行するときにレクチャーするよ」
「ありがとうございます。楽しみです。そうかぁ、敬意と謙虚さの両方が必要だったんですねぇ」
「そう、その通り! 当時の俺にはその両方が欠けていたから、会社の連敗記録を更新したわけだ」
「前にも言いましたが、それって自慢できる話ではないですよね?」
「善久、上司に対しても敬意を持てよ!」
「課長もメンバーに対して謙虚になってくださいね!」
「おお、これは一本取られたな!!」
ひとりごと
営業を始めた頃は、誰しもなんとかして売上を上げたいと思います。
そして、一所懸命にお客様を訪問していれば、ある程度の数字は作れます。
しかし、そのやり方には必ず限界が来ます。
限界にぶつかってはじめて自分がお客様を見ていなかったことに気づきます。
営業という職業に限りませんが、お客様に対して敬意を持ち、自らは謙虚であり続けることが仕事の神様に見初められるポイントなのかも知れませんね。
【原文】
人は須らく地道を守るべし。地道は敬に在り。順にして天に承くるのみ。〔『言志録』第94条〕
【ビジネス的解釈】
すべてのビジネスはお客様を喜ばせるためにある。そのために必要なことはお客様を敬い、自らを慎むことだ。仕事の神様に受け容れられるように修養を怠らないことだ。