部長室をノックしたのは、神坂課長のようです。


「はい、どうぞ。ああ、神坂君か。どうしたの?」


「佐藤部長、新人研修の件ですが、ちょっと気になる記事を読みましてね。これなんですけど、『若者は教育を求めていない』という見出しの記事なんです」


「ああ、それなら私も読んだよ。それは気にする必要はないんじゃないかな。若者は教育の必要性に気づいていないだけなんだから」


「そうですかねぇ。なんか無理強いをしても意味がないのかもな?なんて思ってしまいました」


「『生まれつきの人間の能力差などというものは微々たるものだが気質が違っている。だからこそ教育が必要だ』と一斎先生は言っているよ」


「入社一年目も同じということなのかな? 入社時の個々人の能力差なんて高が知れているということなんでしょうか?」


「そう思うよ。能力差はないけど、考え方の差はあるはずだよね。それをある程度同じ方向にベクトル合わせをするために教育が必要なんじゃないのかな」


「ベクトル合わせか」


「『それから元来、同じような能力を有しているからこそ、教育を行えば、その能力が開花されて成果につながるんだとも言っているよ」


「そうか、能力なんてものは磨けば光るということですね。つまり、教育とはベクトル合わせと能力開発という2つの目的があるんですね?」


「さすがは飲み込みが早いね。そういうことだから、是非研修を続けてくれないか?」


「勿論です。研修をやめたいからこんな話をしたわけではありません。ただ・・・」


「ん?」


「無理強いをすることで、営業の面白さを自ら体得する機会を奪ってしまわないかなという心配があるんです」


「なるほど」


「ウチの息子の話になりますが、長男に対してはカミさんがかなりガミガミ勉強しろと言ったんです。その結果、どうも長男は勉強が好きでなくなってしまったようです。次男に対してはその反省を活かして、あまり厳しくやらなかったんですが、その結果、次男の方が学力は高くなりました」


「だからこそ、答えを教えるような教育ではなくて、ベクトル合わせと能力開発に留めて欲しいんだよ」


「ああ、そうか! もっともっと考えさせる研修プログラムを組み立てればいいんですね?」


「そうして欲しいね。新人さん4人が議論をする中で、自然と同じベクトルを向くように、そして個々の能力が開花されるように導いてあげることが教育の根本なんじゃないのかな」


「そうですね、能力差はないと言っても、そこに得手不得手があるのが個性ですからね。一律ではなく、どこが強みかに気づいてもらうような研修を考えていく必要もありそうです」


「そうやって教育プログラムを組むことが、実は神坂君にとってもとても勉強になるはずなんだよ」


「勉強になるどころか、私が一番勉強をさせてもらっているのかも知れません」


「『教うるは学ぶの半ばたり』という言葉が、中国古典の『書経』の中にある。人に教えるということは、半分は自分が学ぶためにある、ということだよね」


「貴重な機会を与えていただいている会社と佐藤部長には感謝しています」


「うん、その感謝の気持ちを思う存分、新人さんたちにぶつけてみてよ」


「はい、承知しました!」


ひとりごと

今回、この一斎先生の言葉を読んで、教育には2つの側面があることを学びました。

① ベクトル合わせ(社内の考え方を統一する)
② 能力開発(自ら解決する力をつける)

社内研修を行う場合も、外部でセミナーを行う場合でも、この2つの側面をしっかりと理解して進める必要がありそうです。


原文】
性は同じくして質は異なる。質の異なるは、教の由って設くる所なり。性の同じきは、教の由って立つ所なり。〔『言志録』第99条〕


【ビジネス的解釈】
人間が本来有している能力にはそれほど相違はないが、考え方はそれぞれ異なっている。考え方が異なっているからこそ教育を行う意味があり、本来は同じ能力を有しているからこそ教育は効果を発揮するのである。


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