今日の神坂課長は、定時後、部長室で佐藤部長と談笑しているようです。


「昨日のタケさん(大竹課長)の提案は意表を衝いていましたね」


「『社員は家族』という考え方はとても素晴らしいね」


「社員さんが家族なら、そのご家族もやっぱり家族だということになりますね」


「そうだね。家族が参加できる忘年会というのは考えになかったね」


「さすがはタケさんですよ。一本取られました」


「ただねぇ・・・」


「何か?」


「善行の影に家族の愛情があるという考え方は素晴らしいんだけど、それをもって本人だけでなく家族の皆さんも表彰するというのは、少し気をつけておく必要があると思うんだよ」


「えっ、どうしてですか?」


「これは一斎先生が中国の伝説の皇帝・舜について述べていることなんだけどね。舜というのは孔子の頃にはすでに中国一の孝行息子として名が知られていたんだ。ところが、舜が孝子となった背景には、父である瞽瞍(こそう)が非常に意地悪で無慈悲だったという事実があるんだ」


「どんな父親だったんですか?」


「再婚した女性が連れてきた子供に跡を継がせたくて、実子である舜を何度も殺そうとしているんだよ。それでも舜は父親に孝を尽くし続けたんだ」


「酷い父親じゃないですか! なぜ舜はそれでも孝を尽くしたんでしょうか?」


「親子である以上、子は親に孝を尽くすのは当然のことであって、舜にしてみれば、親が子に慈しみを持って接するから子は親に孝を尽くす、というような見返りの考え方は頭の中にまったくなかったのだと思う。親がどんな人物であっても孝を尽くすのが子としてのあるべき姿だとね」


「凄い人ですね」


「そんな親孝行な人物だったので、評判がその時の皇帝であった堯の耳にも届いて、最終的には皇位を禅譲されることになったんだよ」


「なるほど。ということは、舜が孝行息子だという評判が立てば立つほど、父親の悪評も有名になってしまうんですね」


「そうなんだ。一斎先生はそれは舜が望んでいたことでは決してないだろうと言っている」


「そうでしょうね」


「だから、忘年会で表彰するのは良いのだけれど、よく背景を確認し、本人だけでなくご家族にも事前に相談をして、皆さんがそれで良いということであれば表彰するという形にしていくべきだと思うんだよね」


「そうですね。サプライズ的なやり方は宜しくないということですね」


「最近流行のサプライズというのは、意外と仕掛ける側の自己満足でしかない場合も多いんじゃないかな?」


「ああ、そうかも知れません。私もサプライズというのはあまり好きではないですね」


「もしも企画が通ったら、西村さんやタケさんとはそのあたりをしっかりと詰めていかないとね」


「そうですね。でもやっぱり今年の年末は雑賀と雑賀のお母さんが表彰される姿を見たいんですよね」


「そのためには、雑賀君にしっかりと立ち直ってもらわないといけないね。フロントには大累君に立ってもらうけど、我々も陰ながら支援をしていこう」


「はい。雑賀のライバルになるような善い行いをするメンバーがウチの課(営業2課)から出てくることも期待したいです」


ひとりごと 

善行・悪行の影には、人に知られたくない事実があるかも知れない。

こういう視点は欠落しがちですね。

もちろん、どんな事情があれ悪行はいけませんが、善行の場合も、当の本人からすれば、そっとしておいて欲しいということもあるのかも知れません。

そういう意味でもサプライズを企画する場合には、それが自分本位や自己満足になっていないかを慎重に見極める必要がありそうです。


原文】
古今舜を以て大孝の人と為せり。舜は固より大孝なり。然れども、余は舜の為に此の名を称するを願わず。舜は果たして孝子為(た)らんか。其の此の名有るを聞かば、必ず将に竦然(しょうぜん)として惴懼(ずいく)し、翅(ただ)に膚(はだえ)に砭刺(へんし)を受くるのみならざらんとす。蓋し舜の孝名は、瞽瞍(こそう)の不慈に由りて顕わる。瞽瞍をして慈父たらしめば、則ち舜の孝も亦泯然(みんぜん)として迹(あと)無からん。此れ固より其の願う所なり。乃ち然るを得ず。故に舜は只だ憂苦百端、罪を負い慝(とく)を引き、父の為に之を隠す。思う、己、寧ろ不孝の謗(そしり)を得んとも、而も親の不慈をして暴白せしめじと。然して天下後世の論已に定まり、舜を推して以て古今第一等の孝子と為して、瞽瞍を目して以て古今第一等の不慈と為す。夫れ舜の孝名、摩減す可からざれば、則ち瞽瞍の不慈も亦摩減す可からず。舜をして之を知らしめば、必ず痛苦に勝(た)えざる者有らん。故に曰く、「舜の為に此の名を称することを願わず」と。〔『言志録』第116条〕


【意訳】
昔から舜帝は天下の孝子されている。実際に舜は大孝の人であろう。しかし、私は舜帝のことを思うと、それを称されることを願わない。舜はいったい孝子なのか? 舜がこれを聞けば恐れ多いものと、肌に針を刺されたように感じるであろう。思うに舜の孝行は父である瞽瞍の無慈悲によるのだ。瞽瞍が慈悲深い父であったなら、舜の名は後世に響くことはなかったであろう。むしろ舜はそれを願ったが、かなわぬことであった。このために舜はもだえ苦しみ、罪を負い、罪悪を引き受けて父をかばったのである。私が思うに、舜は自分は親不孝者と謗られようと、父の無慈悲を覆い隠そうとした。しかし実際には舜の孝行は天下に響き、瞽瞍は天下の無慈悲者として定着してしまった。舜帝の孝行振りも、瞽瞍の無慈悲さも消し去ることはできない。舜にこの事を知らせれば、苦痛に耐えられないであろう。それ故に、私は「舜の孝行振りが称されることを願わない」と言うのだ、と一斎先生は言います。


【ビジネス的解釈】
中国伝説の皇帝・舜は天下の孝行息子だとして知られているが、その影には父である瞽瞍(こそう)の無慈悲があった。瞽瞍が舜に愛情を注いでいたなら、舜がこれほどまでに孝子として称賛されることはなかったであろう。このように善行の影には、人に知られたくはない事実が隠れていることもある。人を称賛するにしても、非難するにしても、出来る限り事情を拝察すべきである。


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