「くそーっ、こんなの裏切り行為だよ。悔しくて涙が出てくる!」
営業2課の石崎君が居室で吼えています。
「どうしたの、石崎君?」
「ああ、山田さん。酷い話ですよ。先日、福本医院さんで内視鏡の注文をもらったんですよ。それで今日、納期をいつにするかの確認にお邪魔したら、院長が注文をキャンセルしたいって言うんです」
「なぜ?」
「あの後、K社さんが対抗機種の見積りを持って来たらしいんですけど、そっちの方が安かったからそれを買うというんです」
「それは酷い話だね」
「たしかに口頭注文でしたから、契約書を交わしたわけではないですけど、もうメーカーさんに機械の手配もしてしまっていますからね。それで、それは困るって食い下がったら、逆切れされて出入り禁止だって追い返されました」
石崎君は目に涙を溜めています。
「少年、君は何ゆえにそんなに熱くなっているのかな? あれっ、少年。もしかして泣いてるのかい?」
神坂課長がニコニコしながら、石崎君のデスクにやってきたようです。
「課長はそういう所は目敏く見つけますよね」
「話は全部聞こえたよ。君はいつも声がデカイからな」
「(課長の声も同じくらいデカイんですけど)」
山田さんが心の中でつぶやいたようです。
「もうあんな施設、こっちからお断りですよ。いくつか消耗品を納めているんですけど、全部他の会社に発注してもらいますよ」
「石崎君、気持ちはわかるけど冷静になろうよ。この前読んだ本に、アンガーマネジメントというのが紹介されていたんだけど、怒りのピークは6秒らしいんだ。だから、カッときたら6秒待ってから発言したり、行動すると良いらしいよ」
山田さんが優しく語りかけました。
「山田さんの言うとおりだよ。どんな怒りや哀しみもいつかは忘れられるのが人間の凄いところだ。とにかく短絡的な行動を取ることだけは慎もうぜ」
「はい・・・」
「実は俺も同じような経験をしたことがある。そのときは、この性格だろ? 先生と大喧嘩だよ。先生のことを『詐欺師』だと言って激怒させて一大事になったことがある。結局、相原会長にお出まし願って、なんとか穏便に収めてもらったんだけどな」
「さすがは課長です。その話を聞いただけで、ちょっと気分がスッキリします」
「おいおい、これは自慢話じゃないぞ。俺の失敗談だよ」
「失敗談でもあり、武勇伝でもありますよね!」
「石崎、なんでそんなに嬉しそうなんだ?」
「だって、課長も同じようにムカついたんだと分ったし、その後の行動は僕の方がよっぽど大人だなと思って、気持ちが落ち着きました」
「な、なるほどな。たしかに君の方が大人の対応だ。だけど、大人は自分のことを僕とは言わないけどな」
「細かいっすね!」
「やられっ放しは悔しいから、重箱の隅を突いてみた!」
「ははは」
「ザキ、電話。福本医院さんから」
「えっ、福本医院?」
「もしもし石崎です。はい・・・。はい・・・。いえ、あ、はい。こちらこそ、よろしくお願いします」
「石崎、院長からか?」
「ええ、福本先生でした」
「何だって?」
「『先ほどは、カッとなって申し訳なかった。内視鏡の注文はK社に出すことは許して欲しい。ただ、その他の商品は今までどおり君から買いたいから引き続き訪問してくれ』、と言われました」
「良かったじゃないか。やっぱり福本先生もやり過ぎたと反省したんだろうな。次の内視鏡の更新までは5~6年掛かるだろうけど、その間しっかり対応して、次こそこちらの言い値で注文をもらおうじゃないか!」
「はい。やっぱり大人の対応をして良かったな。ブチ切れて喧嘩をするなんて、最悪の行為ですよね!」
「こら、くそガキ! お前な・・・」
「ストップ! 神坂課長、6秒数えてから発言をお願いします」
「や、山田さん・・・」
ひとりごと
とても堪えられないと思うほど大きな怒りや哀しみも、いつかはそれを乗り越えられるのが人間の才能です。
それでも瞬間の怒りに任せて行動してしまう人がいます。
小生はその典型のような人間です。
君子と呼ばれる立派な人は、怒りだけでなく、哀しみや喜びをもしっかりマネジメントできるのでしょう。
禍福終始を知って惑わないのが君子だと、荀子も言っています。
【原文】
亡霊の形を現わすは、往往之れ有り。蓋し其の人未だ死せざる時に於いて、或いは思慕に切に、或いは憤恨を極め、気既に凝結して身に遍く、身死すと雖も、而も気の凝結する者散ぜず、因って或いは崇(たたり)を為し厲(わざわい)を為す。然れども聚(あつま)る者は散ぜざるの理無し。譬えば、猶お冬月(とうげつ)水を器に貯うれば、凍冱(とうご)して氷を成し、器は毀(こわ)ると雖も、而も氷は尚お存し、終に亦漸尽(しじん)せざる能わざるがごとし。〔『言志録』第139条〕
【意訳】
幽霊が形を現すことは時にある。その人が生きている時、強い思念、あるいは強い遺恨があると、気が凝縮して身体に広がって死んでもその気が散らない。それが祟りや災いをもたらす。然し、集まったものは必ず散る。冬に器に水を溜めれば、やがて凍結して氷となる。その氷は器が破損してもすぐには溶けないが、最後には次第に溶けてしまうように、幽霊もいつかは消えるものだ。
【ビジネス的所感】
人間の強い残留思念が亡霊となって現れることがあるのかも知れない。しかし、それも氷がやがて水となって消えてしまうように、いつかは消えてなくなるものだ。同様に、強い怒りや憎しみ、哀しみといった感情も時が経てば少しずつ氷解していくものだ。短絡的な行動を避け、心を落ち着けて長期的視点に立った行動を心がけるべきである。