今日の神坂課長は、平社長に呼ばれて社長室に居るようです。


「まあ、そういうことだ。ひとつお前の力も貸してくれ」


「はい、私にできることであれば、喜んでやらせていただきます」


「当社を家族に例えれば、お前は『頼りになる長男坊みたいな感じだな。頼むぞ」


「ありがとうございます。そういえば、社長。昨日、ジュニアが来られてましたね」


「ああ、ちょうど会社がお盆休みなので、帰省してきたんだ。ちょっと会社を見ておけと言って呼んだんだよ」


「そうでしたか。そろそろ戻すのですか?」


「いや、もう少し修行してもらうつもりだよ。ただなぁ、この前『論語』のある一節を読んで気になったことがあってな」


「おお、社長も『論語』を読まれるんですか?」


「え、神坂も読むのか?」


「私は、退職したサイさんの『論語』の読書会に時々参加させてもらって読んでいます」


「そうだったのか、お前も勉強しているんだな」


「今まで遊んできた分のツケを返しているところです」


「なるほどな。それで、その『論語』の中で、陳亢(ちんこう)という弟子が、孔子の息子の鯉(り)に『あなたはお父さんから何か息子ならではの特別な教えを受けているか』と聞く場面があるんだ」


「その章はまだ読んでいませんね」


「それに対して、息子の鯉は、『特別なことは何も教わっていません。ただある時は詩を学んでいるかと問われ、ある時は礼を学んでいるかと問われて、どちらも未だだったので、それから詩と礼を学んでいます』と答えるんだよ。それを聞いた陳亢は、『とても良いことを聞きました。私は今の私の質問で3つのことを学びました』と言うんだ


「3つのことですか? 詩と礼の話なら2つですよね?」


「そう。その2つのプラスして、『師たる者は、息子といえども他の弟子たちと差別をして特別なことは教えないということを学んだというんだ」


「なるほど。陳亢という人もすごいですね」


「それを読んで、私は少し不安になったんだ。『私の息子は今の会社で詩と礼にあたる仕事の基本を学んでくれているだろうか?』ってな」


「現代の仕事における詩と礼とは何を指すのでしょう?」


「どちらも技術や知識のことではないよな。礼はそのまま社会人として必要な礼儀作法だろう。詩は、おそらく、技術ではなく心を磨けということにつながるのではないかな?」


「心が技術を超えない限り、技術は生かされない、ですね」


「ほお、良い言葉じゃないか?」


「佐藤部長が参加している塾の塾長さんの言葉だそうです」


「なるほどな。まさにそれだよ。息子には丁稚先でしっかりと心を磨いて帰ってきて欲しいところだ。あえて今は孔子のように、『礼儀作法を身につけ、心を磨いているか?』と問うだけにしておこうと思う」


「具体的にこうしろという指示はしないのですね?」


「うん、あいつの主体性に任せようと思う。その上で、帰ってきたらその点を見極めて、会社を継がせるか否かを判断しようと思うよ」


「私も2人の息子には、その点をさりげなく伝えていこうかなぁ」


「そうだな。早いに越したことはないだろう」


ひとりごと 

国民教育者の森信三先生の「しつけの三原則」という大切な教えがあります。

一、 朝のあいさつをする
二、 「ハイ」とはっきり返事をする
三、 席を立ったら必ずイスを入れ、ハキモノを脱いだら必ずそろえる

この3つさえ100%できる子供に育てれば、その他の礼儀作法は自然に身につくという教えです。

心を磨くことについては、これまでに繰り返し述べてきましたのでここでは割愛します。

後継者を育てる際にも、しつけの三原則を徹底し、心を磨くことを奨励し続ければ、立派な跡継ぎに育ってくれるはずです。

もちろん、一般の社員教育も然りです。


原文】
伯魚庭に趨(はし)り、始めて詩礼を聞く。時に年蓋し已に二十を過ぐ。古者(いにしえ)は子を易(かえ)て之を教えば、則ち伯魚は既に徒学せり。而るに趨庭の前、未だ詩礼を聞かず。学ぶ所の者何事ぞや。陳亢も亦一を問いて三を得るを喜べば、則ち此れより前に未だ詩礼を学ばざりしに似たり。此等の処、学者宜しく深く之を思うべし。〔『言志録』第147条〕


【意訳】
孔子の子の伯魚(鯉)が庭を横切ったとき、孔子に呼び止められて詩と礼を学んだかと聞かれた。伯魚はおそらく二十歳を超えていたであろう。昔は互いに子供を取り換えて教育したので、伯魚は既に学問をしていたはずである。しかし、まだ習っていませんと答えた。今まで何を学んでいたのだろうか。門弟の陳亢も一つの質問をして三つの答えを知ることができたことを喜ぶようでは、これより以前に詩や礼を学んでいないようである。こうした点を今の学者は深く吟味すべきであろう。


【ビジネス的解釈】
孔子の弟子の陳亢は、孔子の息子で弟子でもある鯉に、父親から特別な教えを受けているかと勘ぐった質問をする。しかし孔子は、儒学を学ぶ上での基礎は、『詩』と『礼』にあるということだけを息子の鯉に教えたことを知る。これによって、師は息子と弟子を差別しないことも学んだという。
仕事を適切に処理する上で基礎となるのは、礼儀や心がけであろう。後継者を育成する場合には、この点を疎かにしてはいけない。


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