今日の神坂課長は休みを利用して、N鉄道病院名誉院長の長谷川先生、営業部の佐藤部長と一緒に、奈良の安倍文殊院を訪れているようです。


「このお寺は、安倍仲麻呂や安倍晴明で有名な安倍家の菩提寺でね。安倍晋三現首相もこの安倍氏と関係が深いと言われているんだよ。ほら、そこに石塔があるでしょう」


「ああ、長谷川先生、本当ですね。『第90代内閣総理大臣安倍晋三と書かれています」


「では早速、国宝の渡海文殊を拝むとするかね」


「うわぁ、これは凄いですね。大きいなぁ」


「中央の文殊菩薩様は高さ7mだからね。長谷川先生、いつ見てもこの渡海文殊には圧倒されますね」


「佐藤さん、本当だね。でも、なぜだかこのご一行の様子はなごやかなので、観ているとこちらも心が癒されるよね」


「はい。何時間でも観ていられます」


「全国各地に仏像オールスターズはたくさんいるけど、私はここのオールスターズが一番好きなんだ」


「長谷川先生、あの子供の仏像は可愛いですね」


「ああ、善財童子のこと? 面白いポーズでしょ。『法華経』というお経の中で、この善財童子が53人の善智識と呼ばれる賢者を訪れて修行を積んでいくんだよ」


「一説によると、東海道五十三次の53という宿場の数は、この善智識の数だと言われているんだよ」


「相変わらず佐藤部長は物知りですね」


「ちょっとそこに座って、ゆっくり拝見しようよ」


ちょうど渡海文殊像の前には、椅子が並べられており、今日は他に訪れている人もまばらなため、3人は特等席に座ったようです。


「このご一行の四体の仏像さんは、文殊菩薩さんの徳によって惹きつけられているような感じですね」


「うん。でも文殊菩薩様自体は何も言わず、何も指導せずという感じだよね。だまっていても徳が高いから、みんながついて来るんだろうね」
佐藤部長です。


「私にはこの文殊菩薩様が長谷川先生に見えます。まわりの仏像はN大学消化器内科の先生方に思えます」


「ははは。神坂君、そんなことを言ったら、文殊菩薩様に叱られちゃうよ。私はそこまでの徳はもっていないからね」


「そうでしょうか。これは本当にお世辞などではなく、私は徳の高い人というと真っ先に長谷川先生が思い浮かぶんです」


「それは光栄です」


「私なんか、メンバーをまとめるために、あれやこれやと言葉で伝え、先頭に立って行動で示そうとしているんですが、それでもなかなかついてきてくれません」


「そうなの? でも、最近の神坂君は何か神々しさが出てきたけどな」


「本当ですか、それは嬉しいです。でも、先生。どうしたら徳を積むことができるのでしょうか? 読書と実践だけでは限界を感じるんです」


「慎独じゃないかな」


「ああ、独りを慎むということですか?」


「おお、よく勉強しているじゃない。そう、誰も見ていない時に自分を律することができるかどうか。徳を積むには、独りを慎み、陰徳を積むしかないのかも知れないね」


「いんとく?」


「誰にも知られずに善いことをすることだよ。佐藤さん、ちょっと補足をお願いできるかな?」


「恐縮ですが、ご指名ですので少しだけ。結局、他人の目があるときだけ善いことをしたり、目立つ行為をするというのは、自己顕示欲つまり私欲の現れなんだと思うんだ。他人を意識しなくとも自然に善いことができるというのは理想の姿なんだろうね」


「そうだね。他人を意識しなくなるからこそ他人がついてくる、ということかな」


「なるほど、そうなんですね。いやー、私の場合は人が見ているときだけ無理して善人ぶっているだけかも知れません。元々他人に厳しく自分に甘い男なので」


「ははは。自己分析まではしっかりできているじゃない。あとは慎独と陰徳を積むことを実践するのみだよ」


「いつか私も長谷川先生のような徳の高い人になれますかね?」


「どうせなら、私を目指すのではなくて、そこにいらっしゃる文殊菩薩様を目指したらどう?」


「あ、なんか今、善財童子に笑われた気がしました!」


「ははは」


ひとりごと 

独りを慎む、つまり誰も見ていないときでも自分を律することができるかどうかで徳が積まれるか積まれないかが決まる、という一斎先生のお言葉は思いですね。

凡人は誰も見ていないとどうしても気が緩み、「これくらいはいいか」となります。

そこを律することができないと、人を無言で惹きつけることはできないのだそうです。

徳を積むということは、思っている以上に大変なことですね。


原文】
畜厚くして発すること遠し。誠の物を動かすは、慎独より始まる。独処能く慎めば、物に接する時に於いて、太(はなは)だ意を著(つ)けずと雖も、而も人自ら容(かたち)を改め敬を起さん。独処慎む能わざれば、物に接する時に於いて、意を著(つ)けて恪謹(かっきん)すと雖も、而るに人も亦敢て容を改め敬を起さず。誠の畜不畜、其の感応の速やかなること已に此(かく)の如し。〔『言志録』第152条〕


【意訳】
徳目の蓄えが潤沢であればその影響力は大きくなる。人の誠が相手を動かすのは、独りを慎むところから始まる。独りを慎むことが深ければ、こちらが意を凝らさなくても、接した相手は居住いを但し、敬服するものである。独りを慎むことがなければ、こちらが如何に意を凝らしても、接する相手は態度を改めることなく、敬意を示すこともない。誠をどれだけ深く身に蔵しているかによって、その感化するスピードはこんなにも違うものだ、と一斎先生は言います。


【ビジネス的解釈】
徳目を自分の内に備えている人の影響力は絶大である。人の誠が他人を動かすのは、なにより独りを慎むことから始まる。誰も見ていない時に節制できる人は特別に意識しなくても人を感化するが、独りのときに自分に甘い人はどんなに策を弄しても人の心を動かすことはできない。リーダーがメンバーを思うままに動かしたいと思うなら独りを慎み、誠を蓄積する以外にないのだ。


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