「失礼します」


「おお、神坂か。なんだ、もしかしてもう本を読んだのか?」


「はい、昨日、喫茶店で一気に読み切りました。すごく勉強になりました」


今日の神坂課長は、A県立がんセンターの多田先生のところにお邪魔したようです。


「最近、読書のスピードも上がったな!」


「環境も大事ですよね。自宅のそばに個室のある喫茶店があるんです。そこで、じっくりコーヒーを飲みながら読みました」


「たしかに、何事においても環境づくりは重要だな。それで、早速ここに来たということは、何か言いたいことがあるんだろう」


「はい。あ、その前に、こんな素晴らしい本を送って頂いてありがとうございます」(詳細は第1292日をご参照ください)


「ははは。同じ失敗は繰り返さないようにしているな。お前の心の琴線に触れたのはどこだ?」


「中江藤樹先生の言葉です」


「ほぉ、なかなか良いところに目をつけたな。学問とは人の下になることを学ぶためにある、という件だな」


「ええ。私の場合、常に人の上に立つために勉強してきたような気がします。まあ、勉強といっても、実践中心で読書はほとんどして来なかったのですが」


「その言葉には俺も衝撃を受けたな。俺も昔は、先輩だろうが後輩だろうが俺より腕のある医者はいないと思っていた。周りに尊敬できる医者がいないとも思っていた。そんな時にこの本を渡されたんだ」


「もしかして、長谷川先生ですか?」


「そのとおり。医局のデスクに帰ったら、この本が置いてあった。その上に短いメッセージがあってな。『とにかく我慢して最後まで読むこと』って、独特の字で書いてあったよ。ほら、これ」


「え、今でもそれを取ってあるんですか?」


「嬉しかったからな。一匹狼みたいな俺をあの親爺だけは、いつも暖かく見守ってくれているんだなと実感したよ」


「(まるで佐藤部長と同じだな)」
神坂課長は心の中でつぶやきました。


「神坂、『敬』にも2種類あることを知ってるか?」


「そうなんですか?」


「『活敬』と『死敬』の2つだよ。常に明るく清清しい態度で人に接し、人の良い点をみて凄いなと思う。そんな態度が『活敬』だ。それに対して、なにかにビクビクしたり、ゴマをするような態度のことを『死敬』と言うんだ。そんな奴は早晩見限られるだろうけどな」


「なるほど、『死敬』か。素直に心から人を凄いと思えることが大事だということですね」


「中江藤樹先生は、愛と敬は切り離せない。愛のない敬も、敬のない愛も本当ではない、というようなことを言っているよ」


「愛敬 = 活敬、ということなんでしょうね。そういえば、この文章にもほっぺたを引っ叩かれたような印象を受けました。『ある人が神や目上の人に対してとる敬虔な態度が果たして本物であるかどうかは、その人が目下のものや動植物に対しても等しく敬虔な態度をとりうるかどうかによって判定される』」


「そうだな。その本に書いてあるが、立場的に上位にいるものが、必ずしもすべての知識・技能においても勝っているなんてことはないからな。まして、人間的に劣っているかといえば、そうでないことの方が多いかも知れない。下位者に自分の及ばない知識や能力、あるいは人間的な資質があることに気づけば、自ら謙虚になる。それこそが、上司が部下を敬する基本になるんだろう」


「はい。私は昨日、まさにそれを考えていました。私の課のメンバーと上司の顔をひとり一人思い出し、その人の素晴らしさを再認識して、感謝の気持ちを持ちました。みんな素晴らしいメンバーだということに、改めて気づきました」


「人間関係のたな卸しだな。俺も時々やるぞ。とても良いことだと思うな」


「ここに、『自己を捨てる心こそ、最もよく全体を生かし、全体を生かす心こそ、最もよく自己を生かすゆえんなのである』とあります。自己を捨てるというのは、私みたいに自己顕示欲の強い人間にはなかなか難しいことですね」


「まったくだ。自分を捨てて、他人に敬意を示すというのは、お前も俺も苦手なことだよな。まあ、人生はたった一回のマラソン競争だ、とも言う。お互いに鍛錬を積んでいこうぜ」


「はい。この本は、これからも私の人生のバイブルとして読み続けていきます」


ひとりごと 

昨日に続き、『青年の思索のために』を題材に、一斎先生の言葉とコラボレーションしてみました。

部下として日々を過ごす際、人の下に立つ修行だと思って行動するのとそうでないのとでは、精神的なストレスも全然違ってくるのかも知れません。

将来人に持ち上げてもらえる人材となれるように、若い人は自分を磨いてください。

また、企業トップでない限り、リーダーにも上司がいるはずです。

人生、考え方次第で、一生人に下る鍛錬ができるはずですね。



原文】
人は明快灑洛の処無かる可からず。若し徒爾(とじ)として畏 シ趄(しょ)するのみならば、只だ是れ死敬なり。甚事(なにごと)をか済(な)し得ん。〔『言志録』第160条〕


【意訳】
人は明快でさっぱりとしたところがなければならない。もしただ委縮して、ぐずぐずしたところがあれば、それは死んだ敬に過ぎない。そんなことでは何も成し得ることはできない。


【ビジネス的解釈】
仕事をする上ではいつも明るく清清しく見られる必要がある。ビクビクしたりぐずぐずしたところがあるなら、それは一見人を敬うように見えて、実は卑屈なだけの死んだ敬である。そのような態度や外見でビジネスがうまくいくわけがない!


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