営業部の佐藤部長と新美課長は自宅の最寄り駅が同じということもあり、今日は同じ電車に揺られて帰宅中のようです。
「今期も営業1課はなんとか計画を達成できそうだね」
「はい。すべてメンバーのお陰ですが、なにより清水さんが大きな商談を取ってくれたことが大きいです」
「マネジャーとしての最初の期にしっかり達成するなんて素晴らしいね」
「いえ、私はまだ何もできていません。西郷課長のマネジメントの恩恵を受けているだけです」
「ははは。新美君はいつも謙虚だね。神坂君ならそうは言わないだろうなぁ」
「あの人の場合は、キャラとして故意に極端な発言をしていることもありますから」
「そうだね。意外と自分のキャラを把握しているんだよな」
「私としてはまだまだ先輩の清水さんとの関係づくりがうまく出来ていないことを感じます」
「そういう人が部下にいるからこそ、リーダーは人間的に成長できるんだよ。焦ることはないさ」
「はい」
「大累君はずっと雑賀君に手を焼いてきたよね。ようやく最近になって、2人の関係がしっくりしてきたと思わないか?」
「はい、あの事故は大きな転機になったのでしょうね」
「転機というよりは、締めくくりとなったという感じかな。大累君は、事故の前から雑賀君を責める前に矢印を自分に向けることを意識してきた。雑賀君のプライベートにも関心をもって、家庭の事情を聴き出したりしていたからね」
「ああ、そうですか」
「実は、この私も部下に育てられたひとりなんだよ」
「神坂さんですか?」
「うん。彼ほど破天荒な人物には出会ったことがなかったからね。住んでいる世界の違う奴が入ってきたなと思ったよ」
「ははは。私が入社した頃でもまだまだハチャメチャな人でしたけど、新人の頃はもっと凄かったってよく聞きます」
「なにしろ教え諭そうなんて考えて説教をしたら、真っ赤になって食って掛かってくるんだよ。それも言ってることは筋がまったく通っていないんだ!」
「想像しただけで怖くなります」
「実は私もそんなに気が長い方じゃないからね。よく襟首をつかみ合って喧嘩もしたよ」
「佐藤部長がですか? 想像できないな」
「彼のことで悩んでいるうちに、体重が10kgも減ったんだ。それで、長谷川先生に相談したこともある」
「なにが具体的なアドバイスを頂いたんですか?」
「そこが長谷川先生の凄いところでね。具体的なアドバイスは何もなかった。ただ、ゆっくりうなずきながら話を聞いてくれただけ」
「そうか、そこで安易にアドバイスをしてしまってはいけないんですね」
「それを教えられた。その帰りにふと『言志四録』のことを思い出してね。実は、私が妻をなくして失意の底にいたときに、長谷川先生から読むことを薦められたのが『言志四録』なんだ」
「そうなんですか?」
「しばらく自宅のデスクの上に置きっ放しで読んでいなかったんだけど、自宅に帰ってから熟読してみた。その日は徹夜したことを覚えているよ」
「そのときに何かヒントを得たのですね」
「うん。新美君の手は今、つり革を握っているよね。でも、手に対してつり革を握れ、と意識して指示をした訳ではないよね?」
「もちろんです」
「人間が五感を働かせるときや、手足を動かすのは、すべて心が指示をしているはずだよね。でも、普段はそれを感じさせない。リーダーもそうあるべきなんじゃないかと思った。上手に彼のキャラクターを活かして、彼自身が自分で考え行動していると思わせて、実は私の存在がそこに影響を与えるような、そんなリーダーを目指そうと思ったんだ」
「それは究極のリーダーシップですね」
「そうかも知れないね。だからこそチャレンジしてみる価値があるんじゃないかと思う」
「はい」
「そうやって彼の行動や言動に冷静に対処していると、すごく教えられることが多かったんだ。自分のやり方が必ずしも正しいわけではないことを教えられたよ」
「矢印が自分に向いたのですね?」
「そうだね。多様性を受け入れるというのは、自分と違うタイプの人を容認するという意味ではなく、自分が間違っている可能性に気づくことなのかも知れない」
「部長、きょうは大変勉強になりました」
「いやいや、詰まらない昔ばなしをしてしまったね。では、お疲れ様」
2人は最寄り駅に到着して、東口と西口に分かれて帰途についたようです。
取り残された石崎君は、そんな独り言を言ったようです。
ひとりごと
「説得」と「納得」という言葉は似て非なるものです。
小生が師事している永業塾の中村信仁塾長は、
「コミュニケーションとは、説得するのではなく、納得してもらうことだ」
と言います。
説得した人は、命令だからと渋々行動しますが、納得した人は自ら積極的に行動します。
結果が変わるのは当然ですね。
リーダーは、メンバーを説得するのではなく、納得してもらうことに努めるべきでしょう。
【原文】
耳目手足は、都(すべ)て神帥(ひき)いて気従い、気導きて体動くを要す。〔『言志録』第162条〕
【意訳】
人間の耳や目といった器官や手足などは、みな精神が率いて、それに気が従う。次いでその気が導いて身体を動かすことを可能にするのである。
【ビジネス的解釈】